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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

651うのはな:2013/07/21(日) 14:53:05 ID:zkgxlYEM
    日本を頼っていた避難民達

 日本が一九三七年八月十七日に、「不拡大方針からの転換」を閣議決定した主な理由は、
邦人虐殺までエスカレートし、上海への無差別爆撃など、中国側の目に余る暴挙に対して、「暴支膺懲」
(中国の悪者を討ちこらしめる)にあったので、民衆(良民)にはすこぶる優しかったのです。

 それゆえ、上海から南京攻略戦の総司令官に任命された松井石根大将は、着任早々、次の訓令を出していたのです。
それは「上海附近の戦闘は専ら我に挑戦する敵軍戡定を旨とし、所在の支那官民に対しては努めて之を宣撫愛護するべきこと」
(※戡定=敵を討って乱を鎮めること)だったのです。

 松井大将の訓令は、それ以後も徹底を極め、南京城攻略前には、戦時国際法を遵守するために、日本から同行を求めた国際法学者・斉藤良衛博士を
招き、助言を受けて、微細な『南京城攻略要領』を発令していたのです。 
 実際、南京城攻略戦は、それらの訓令のとおりに実施されましたが、それらの訓令は、東京裁判では一切証拠採用されなかったのです。

  ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神  水間政憲 著


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