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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
6299
:
志恩
:2017/08/08(火) 23:27:18 ID:6hRUvSRg
>>生長の家教団が、生政連活動をやめたのは、1983年(昭和58年)。
谷口雅春先生がご生存中の出来事で、そして清超先生が総裁、雅宣先生が副総裁の時、
生政連活動停止は、清超先生が決められた。と。<<
私は、これをどこかで読みましたので,
このように書きましたが、
その時の総裁は、清超先生だったので、政治活動からの撤退を最終的に決定され、発表されたのは、
清超先生でしたが、まだ雅春先生がご生存中でいらしたので、
もちろん、雅春先生と清超先生が話し合われた結果のご決断だったと思います。
清超先生が、お一人だけで、独断で決められたことではないことは、わかっております。
それから『優生保護法』の廃止運動につきましては、私が原宿本部に在職中、昭和40年頃にはスタートしておりました。
ということは、今から52年前の1965年頃からスタートしておりまして、当時、生長の家は組織をあげて、署名運動もしましたし
生長の家から立候補し、参議院全国区で当選した玉置和雄議員が
これを国会の場で、法制化しようと、すごく頑張っていたのですが、国会議員さんの過半数の賛成を得られませんで、
法制化は、残念ながら見送られました。
でもそれは、自民党議員さんだけでなく、他党の議員を含めた全議員さんの賛成が
過半数に至らなかったのですから、法制化が見送られたのは、自民党議員さんだけの責任ではないのです。
なので、自民党のせいで、法制化されなかったという言い方は、誤りだと思います。
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