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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
6109
:
縄文人
:2017/03/13(月) 20:33:50 ID:jeOxZG9U
3月ともなれば風景は春めく。梅林は満開となり、やがて来る桜花爛漫たる風景を予感させる。
若葉も芽を吹き、美しい。
なぜ美しいと感じるのか、さらにこの多様な植生に安心感を覚えるのか。
そこに渾然として、生きとし生けるものが、代々生き続けているからである。
確かにそこでは弱肉強食の戦いもある、楽しいことばかりではない。仏教では苦界であるという。
なのになぜ安心感が得られ、美しいという感じがするのか。
それは生命が存続しているからである。戦いの中で、自分という個体はしんでも種は滅びないからである。
たんぽぽのような雑草が逞しいのもまさに、自分が滅ぶとも種は滅ばないというところにある。
特攻した青年も、自分は死んでも国家、家族は生きると信じて散って行った。
日本の美しい、なぜか安心できる春の風景を眺めながらメモしたことである。
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