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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5812本流派には理解できない真実:2016/12/30(金) 22:03:24 ID:jNR6UCOE
「生長の家総裁の法灯」とは住吉大神の御教えの具現である
http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-ac91.htmlより

従って、人類光明化運動の「不動の中心」として

「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」

が存在する、ということは、

住吉大神の御教え=「総裁・副総裁」の法灯

である、ということを示している。

生長の家の副総裁は、総裁より「大法」を面授された者が就任する。

では、「大法」とは何ぞや?という疑問を持たれる方もあるかも、知れない。

生長の家の総裁の法灯とは、皇位の継承における「天皇霊」にも匹敵する存在であり、「大法の面授」とは天皇を天皇霊と一体化させる「大嘗会」にも比すべき重要性を持っている。

ここで重要なことは、大法とは個人の悟りによって得られる真理ではなく、「人類光明化運動の不動の中心」に処を得たものが享ける境地である。「人類光明化運動の不動の中心」たりえないものが、この「大法」を得ることは「処を得ていない」のである。

「大法」を授かった者のみが、「人類光明化運動の不動の中心」になり得るし、ならなければならない。何故ならば、彼以外に住吉大神の御教えを「処を得た」形で、地上に表現できるものはいないからである。

神想観によっていくら悟りを深めても、それで「人類光明化運動の不動の中心」になることは、できない。人間はそれぞれ別々の使命があるのであり、生長の家の総裁のみが「人類光明化運動の不動の中心」としての使命を有している。

人間は、悟りが深まると、自ずから「処を得た」動きをするようになる。

「私の方が、総裁よりも悟りは深いはずなのに、どうして私が総裁にはなれないのだ?」と思う者は、まだまだ悟りの浅い人間である。それは、いくら優秀な検察官であっても裁判官を兼務はできないし、兼務してはならないのと一緒である。

もしも、「私はあの裁判官よりも優秀なのだから、私が検察官の仕事も裁判官の仕事も兼務すべきだ!」等という検察官がいたら、彼は真に優秀な検察官ではない。それは、権力分立の観点から「処を得ていない」から問題なのである。

神想観によって悟りを深めても生長の家の総裁になれないのは、如何に神道を極めても臣民が天皇になることはできないのと同様の厳然とした論理なのだ。


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