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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5674唯神実相論による国体の把握:2016/11/17(木) 10:56:17 ID:vpyVTQOs

家庭の起源

 さて、社会を構成する最小の単位は家庭である。
 ルソーは、人間が家庭を築くのは、子供は父親に頼らなければ生きていけないからである、と述べた。そして、子供が成人に達した後の家庭というものは、すべて契約によって生まれるのである、と考えたのである。(ここでルソーが言う契約には、明文化されたもの以外にも、暗黙の了解等も含まれるであろう。)
 しかし、赤子が親に甘えるのは、本能の営みである。決して、父親に頼ってその生存を保障してもらおう、という意図があるのではなく、本能によって母親に甘え、幸いにも両親が平穏にそろっている場合には父親にも甘える。家庭に恵まれない子供は、本能によってそれに代わる環境を探そうとする。その際に、知恵あるものは自らの理性を使うかもしれないが、感情的に泣いているだけの幼児であっても、母の腕に抱かれると安心する者であり、あくまで本能が主、理性は従の関係である。
 これまでの私の主張には納得できない方もいると思うので、もう一つ、分かり易いたとえを用いる。
 類人猿で知能の高いオランウータンは群れを築かないのにもかかわらず、知能のないとされる下等生命の中にも、アリや蜂、一部の魚類のように群れを築くものは、存在する。理性によって社会が築かれるのであれば、どうして知能を持つオランウータンが社会を築かないのか、説明がつかない。
 ゴリラやチンパンジーも、本能によって社会を築いているのであり、人間も同様である。決して、社会を築いているから知能が高いとか、理性的である、というのではなく、知能が低くても社会を築く本能があれば社会を築くし、知能が高くても社会を築く本能がなければ社会を築かないのである。だからこそ、人間においても、人間社会において「社会不適合」の烙印を押されたものが、時には優れた知能を見せることもあるのである。理性や知能と社会の起源とは全く無関係なものであり、これを混同してはいけないのだ。


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