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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5673唯神実相論による国体の把握:2016/11/17(木) 10:54:47 ID:vpyVTQOs

本能による社会の誕生

 社会の誕生を明らかにした偉大な思想家として、私はモンテスキューの名を挙げる。
 モンテスキューは、社会ができる前の、孤独な人間を想定した。彼の生活は、恐怖に満ちているであろう。なぜなら、人間は本質的に弱小な体しか持たず、本能的に自分以上の強者の存在を恐れるからである。しかし、やがて彼はほかの人間も、自分と同様の弱小な体しか持っていない、という事実に気が付く。そして、人間は「好奇心」によって他の人間と結びつき、社会を建設した、という旨のことをモンテスキューは『法の精神』で述べている。
 理性における契約は、明文化されたものにしろ、暗黙の了解にしろ、両者による利害関係の一致によって発生する。しかし、人間は、利害関係だけによって動くものではない。好奇心こそが、社会の誕生の理由である、というモンテスキューの説は、傾聴に値するものである。
 社会というものは、まさに、自然状態の中で、必然的に発生したものなのである。なぜなら、人間にはすべて、他者と何らかの形でかかわりたい、という本能を持っている。これは、決して、合理的な理由のある利害に基づく感情では、ない。他者とのかかわりが時には苦痛を伴うことは、近年問題となっているニートや引き籠りの存在がそれを証明している。しかしながら、そうした問題が存在するにもかかわらず、人間が社会を営むのは、もはや人間が利害関係によって生きる存在ではなく、他者とのかかわりを、利害を超えて人間が希求しているということなのである。
 こういうと、「いや、多くの人は、他者との協力によってこそ利益を得ているのである」などと言って反論する者も出てくるであろうが、それでは聞くが、貴方は幼児の頃、社会で暮らさなければ自らの利益が害されると思い、その時の気持ちを持ったまま小学校に入学し、やがて教育を受けて社会に出たのであろうか?そのようなことはないと思われる。他者とともにいると、孤独でいる時には得られない安心感を覚える人間もいるのではないだろうか?逆に、孤独にいる時が他者といるときよりも安心する者は、他者を恐れる何らかの理由が存在するものではないのだろうか?つまり、アプリオリには人間は他者といることにより安心感を覚え、後天的な理由によってのみ、他者を避けるようになるのである。
 こうしてみると、人間は本能によって社会を築くのであり、理性によって社会を築いたわけではないと考えられる。


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