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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5672唯神実相論による国体の把握:2016/11/17(木) 10:54:00 ID:vpyVTQOs

社会の起源について

 社会の起源を、合理主義的な考えによって説明するのは、不可能である。なぜなら、人間は本能によって社会を築いたのであり、合理的理由があって社会を築いたのではないからである。
 人間が合理的に行動している、等ということは、ありえない。人間がしばしば非合理な行動をすることは、皆様もよく知っているはずであるし、合理的な行動であっても、その多くは無意識に本能によって行っていることが合理的に説明可能であるというに過ぎない。
 例えば、人間が呼吸をしていることに、合理的な理由があるのであろうか?無論、そのようなことは、ありえない。赤ん坊が「私は呼吸をしなければ、死んでしまう」と、合理的に考えて産声を上げる、等ということは、ありえないのである。人間は本能によって呼吸をしているのである。それのことを合理的に説明しようとすると、「人間は呼吸をしなければ生存ができないから」等という理由が出てくるであろうが、それは、人間の本能の営みを合理的に説明しているだけであって、人間が合理的理由によって呼吸をしていることには、ならない。
 理性というのは、人間の本能の営みの理由を検証し、説明するのには有効であるが、人間が理性によって生きているというのは、暴論である。ルソーをはじめ、多くの思想家の唱えた社会契約説の誤謬が、そこにある。
 人間は、理性によって社会を築いたのではなく、本能によって社会を築いた。そして、一度出来た社会の運営や社会そのものの存在意義の説明のために理性を用いたのであって、あらかじめ「社会を知らない人間」が「理性」によって社会を建設すべきであると考え、社会を建設した、というのはありえない想定なのである。
 ルソーは、人間は契約によって社会を築いた、と考え、それこそが不平等の起源であり、人間は自然に帰るべきであると主張した。ならば聞くが、人間がもしも理性によって「社会」なるものを建設すべきであると考え、そのために契約を行ったならば、その理性によって、これから建設されるであろう社会において不平等が存在しうることを、どうして予見できなかったのであろうか?
 そもそも、ルソー自身が社会の建設される前の自然状態を、実際には存在しなかったであろうと考えていた。つまり、ルソーの主張は、あくまで社会という存在の起源を、それが建設されてから理性によって説明したに過ぎず、社会の起源を本来の意味で解明したわけでは、ないのである。


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