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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5422教団版T.T.K.:2016/10/17(月) 09:46:57 ID:DsVFOQbc
>>5414

まず、信仰とは救われるために行うものでは、ありません。生長の家の唯神実相哲学には一種の学問的な要素もあります。それの「実践」が三正行であり、その結果として救われる人もいるでしょうが、問題はいかに三正行の実践をしたかであって、個人救済をした人数を競うようなものではありません。

例えば、一部の本流派みたいに「聖経は霊牌も含めて光明思想社から買うんだ!宇治で永代供養をしても救われないぞ!学ぶ会で永代供養をすればご先祖様も喜ばれる!」みたいな活動は、生長の家の人類光明化運動とは似て非なるもの、否、似てすらいないものです。

また、「天下国家のこと」と「目の前の個人」であれば、どちらを優先すべきでしょうか?例えば、目の前で菅直人や安倍晋三が瀕死の重傷を負って倒れていた、とします。その場合、救急車を呼んで彼らを助けたり、或いは、神誌・聖典を渡して「肉体はない!」と伝道すべきでしょうか?私は、むしろ、その場合は見殺しにしてその分の時間をいかに次の政局が「日本国実相顕現」のための状況にするかを考える方がよいと思います。というか、その場で菅や安倍を殺すと大いなる善業になると思いますが、私は法治国家の臣民なのでそこまではしません。(笑)

何が言いたいのか?確かに、個人救済も大事です。しかし、「個人救済を天下国家のことよりも優先すべき」というのはおかしな話です。確かに、私「個人」では天下国家を救うことなど無理ですから、個人的に行う「三正行」としては「個人救済」の優先順位は高いでしょう。しかしながら、組織運動は違います。組織運動においては、天下国家の救済が第一に来るべきだと思います。


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