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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5356何にかな:2016/10/15(土) 17:03:16 ID:Fv0quAAc

「中心帰一」について色々な見方が語られている。神の心に、天之御中主の心になる事だとか。雅春先生の心をわが心とすることだとか。

「中心」とは何でしょうか、縦に書くと「忠」となります。赤穂浪士の義挙と云うのも江戸時代にはさほど素晴らしいものとは言われていなかったが、明治の中頃からから天皇への忠義心養成の為かもてはやされる様になりました。

 どのような集団とて人が集まれば中心者はいます。家族には家長が、会社には社長が、赤穂藩には藩主浅野内匠頭長矩が。親爺が他愛無いからと他の家族が従わないのを是とするのか、社長の方針が気に入らないから、社長を追放すのを是とすのか、殿中での刃傷沙汰は切腹と決まっていところで堪忍袋の緒が切れた藩主に義理はあるのか。

 この様な観点から忠義というものを考えるのもいいです。

「忠孝一体」とはよく言われることです。本当の忠が出来なければ本当の孝も出来ないでしょう。「身びいき」が無くならない限り「自他一体」は分からないです。さすれば本当の愛の実践も出来ないということです。


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