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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
53
:
元本部職員D
:2012/12/30(日) 19:31:55 ID:???
【徳久克己】 私ね、この生長の家というのを、皆、誤解しているけどね。生長の家の運動ほどね、平和運動はないと思うんです。これが本当の世界の平和運動だと信徒が解って来たら、もっと熱心に運動をしなきゃならないと思うんです。
「平和、平和」と言いながら喧嘩しているのと全然違うのですから。
それで今、生長の家本部としては、四つの根本方針を出しているわけで、救いの原理で、お釈迦さんが生老病死を救われたように、我々が現代を救うためには、どうしても〝治病〟〝教育〟〝繁栄〟〝政治〟の問題この四つが出ているわけです。これをもっと地道に進めて社会をよくして行かなきゃならないですね。
『生命の實相』の第一巻にね、「人類の思想中よりその迷いを去らしめ、人類生活の全面を光明化する」とあって、治病のみを目的とするのではありませんとはっきり書いておられる。
ですから、人類生活の凡ゆる面を光明化しなければならない。だから政治の面でも、生長の家は政治面に出るからいやだなんて、とんでもないことです。
しかし吾々は政党を作って権力を取ろうというのでなしに、“政治家の思想の切替え”をやって行こうというのが生長の家の運動だと思うんです。
【田中忠雄】 それが、ややもするとね、一方に政治という領域があり、他方これとは別に光明化運動があるでしょう。
【徳久克己】 別々になっちゃっている。
【田中忠雄】 これがどこで繋がって、どうなっているかというと、谷口先生がいられて、同じ谷口先生から出ているからやらにゃならんという気持はあるけれども、もっと内面的なつながりということを会得しないとバラバラな感じになりますね。
【徳久克己】 だから生長の家は、光明思想普及会と言ったんですよ。思想運動なんですよ。
だから政治家の思想を変えること、思想が変ったら個人の運命が変るということと同じであって、治病も、繁栄も教育も政治も、同じ根本から出ているんですよ。
私はそう解釈している。政治という別のものがあるんじゃないんです。
【田中忠雄】 だから僕は人の前に立ってよく言うんだけども、「個人の体の病いを治す原理と、病んだ社会や国を癒すのも、その原理は一つですよ」って。
二つをバラバラに二元的に考えたら総裁先生の大志業に参与できないことになる。
【徳久克己】 私は医者をやっておってね、医者の言葉の中に「下医は病を癒し、中医は人を癒し、上医は国を癒す」と昔から言われている。
だから谷口先生は本当の医者だということをね、思って、生長の家の谷口先生に師事することについて、医者をやめた気がしなかったんです。
【田中忠雄】 うん、佛教にも〝医王〟というのがありますからね。
【徳久克己】 だからね、生長の家の運動というのはね、ものすごい上医の〈国を癒す〉運動だと思うんです。
[司会] そこで、その人類光明化といいますけれども、人類というのは抽象概念であって「人一人を救うは非常に大事なことである」と神示にありますように、其処に宗教の原点があると思うんですが・・・
【田中忠雄】 ええ、これを忘れたら宗教でなくなりますね。
僕はどちらかと言うと理論の掘下げに勤めているように人に見えるらしいが、それだけに余計思うんですけども、目の前に本当に苦しんでいる人を、身を挺して助けに行くことですね。寒さにこごえている孤独な老人があったら、上衣を脱いで着せかけてやる。この助けに赴く精神が宗教の根本だと思うんだな。
宗教とは、隣人や地域社会の困っているものを、傍観できないという精神じゃないですか。
【佐脇嘉久】 だから、吾々も光明化運動の方針というものによって動く前に、方針がなくとも、救わなければならないというものが、魂の中から湧いていなければ〝生きた宗教〟ではないわけですね。
割当てられたからやるというのは、ものすごい消極的姿勢になるわけですね。
『生長の家』誌 47年新年号
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