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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

5117縄文人:2016/09/06(火) 16:54:03 ID:DlOUxgV2
大日経住心品に解脱すべき60種類の心が列挙されていて、これは脚下照顧しなければならないとて書き込もうとしたら長すぎた。

よって、半分づつ貼り付ける。

1から30まで:

1「貪欲の心」とは、なにかと言えば、欲の深い人がいつ如何なる時でも物に執着する心である。
2「貪欲を離れた心」とは、なにかと言えば、貪欲を離れた人がいつ如何なる時でも物に執着しない心である。
3「憎悪の心」とは、なにかと言えば、いつでも怒った心で執着する心である。
4「慈しみの心」とは、なにかと言えば、慈しみの心のある人がいつも物を見守る心である。
5「愚かさの心」とは、なにかと言えば、吟味することなく物にいつも執着する心である。
6「理智の心」とは、なにかと言えば、物を相違によって区別して理解し、それぞれに対して関心をもつ心である。
7「示唆の心」とは、なにかといえば、佛のいましめと聖賢の言葉にしたがって行動する心である。
8「疑惑の心」とは、なにかと言えば、一般に承認されている定説に対して疑いを抱く心である。
9「暗愚になる心」とは、なにかと言えば、疑いのないものに疑いを意識する心である。
10「明々白々の心」とは、なにかと言えば、疑いのないものに何の疑いも持たない心である。
11「凝集の心」とは、なにかと言えば、多くのものをひとつにして考える心である。
12「闘争の心」とは、なにかと言えば、互いに口論する心そのものである。
13「争論の心」とは、なにかと言えば、何事においても「おのれが、おのれが」といさかう心である。
14「争論のない心」とは、なにかと言えば、みずから意識して自負する心である。
15「神の心」とは、なにかと言えば、みずから意識して自負する心である。
16「アスラの心」とは、なにかと言えば、生死の廻転を呪う心である。
17「ナーガ(竜)の心」とは、なにかと言えば、大財産を得て、なにかをしようとする心である。
18「人の心」とは、なにかと言えば、自分自身の利益だけを考える心である。
19「女の心」とは、なにかと言えば、愛欲だけのために物事にたずさわる心である。
20「イーシュヴァラ(自在天)の心」とは、なにかと言えば、自分が何でも考えているという傲慢な考えをおこす心である。
21「商人の心」とは、なにかと言えば、底値の際に集めて十分に増加したのちに、高値に売ろうと堅く念じている心である。
22「農夫の心」とは、なにかと言えば、耳にした多くのことを探し求めて、将来のことを慮る心である。
23「河川の心」とは、なにかと言えば、両端を見て、そのいずれにも惹かれる心である。
24「池沼の心」とは、なにかと言えば、喉の渇いた者が水を求めるように、欲望の満足を激しく求めてやまない心である。
25「井戸の心」とは、なにかと言えば、深くないものを深いと思う心である。
26「あまねく見守る心」とは、なにかと言えば、これこそ真実であるが、他は愚かであると思う心である。
27「物を惜しみむさぼる心」とは、なにかと言えば、自分自身にだけ固執して、他を顧みない心である。
28「犬の心」とは、なにかと言えば、小さなものでも喜ぶようになる心をいう。
29「猫の心」とは、なにかと言えば、供物を見て奪われる心である。
30「ガルダ(金翅鳥)の心」とは、なにかと言えば、仲間だけに味方して、物事にたずさわる心である。

(続く)


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