[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
6201-
6301-
6401-
6501-
6601-
6701-
6801-
6901-
7001-
7101-
7201-
7301-
7401-
7501-
7601-
7701-
7801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
4681
:
神の子さん
:2016/07/09(土) 20:30:13 ID:eQbIe.o6
〈22-2-2 「自我意識(迷い)」を自力で消そうと思っても無理である〉
お釈迦様も難行苦行されましたが、御自分の精進努力では「悟りを開く」ことができませんでした。結局挫折した釈迦は山を下り、バラモンの娘から粥を施されたその慈悲の心に接した後、菩提樹下で瞑想し悟りを開かれました。潜在意識中の「自我意識(迷い)」を自力で幾ら頑張って消そうと思っても、それが無理であることは、無数の聖人達が実証して下さっています。それは「本来無いもの」を相手にしているからであります。
〈22-2-3 釈迦は「この世界が生かし合いの世界であった」ことを悟った〉
では、どうすればいいのでしょうか。お釈迦様はバラモンの娘から「粥」を施された時、「仏の慈悲」を観たのでありましょう。それは、「あぁ、この世界は争いの世界と思っていたが、生かし合いの世界だった」という「仏の慈悲」「神の愛」として、この世界の有り様を悟った瞬間であったのでしょう。釈迦の言葉の表現を変えてみますと、「あぁ、この世界は〝不完全な世界〟と思っていたが、〝完全な世界〟だったのだ!」という観の転換が行われたことになります。その切っ掛けとなったのは、「自我の努力」を捨て去って、「仏の慈悲」に真直ぐに振り向いたことによるのではないでしょうか。
「一見明星」と云われている事を、釈迦の悟りの時としています。あまむし庵さんのは『生命の実相』からの知識の受け売りでしかありません。
というのは 「仏の慈悲」を観たのでありましょう。 悟った瞬間であったのでしょう。 「仏の慈悲」に真直ぐに振り向いたことによるのではないでしょうか。 と全て想像の言葉で〆ているからです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板