したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

4116志恩:2016/03/07(月) 04:18:00 ID:6hRUvSRg

「フリーメーソンの占領革命・白い神々」犬塚きよ子著

この著書には、世界唯一のメーソン資料からの情報ということで、
太平洋戦争の舞台裏及び戦後占領支配においてフリーメーソンが
いかに日本に関わっていたかということが書かれてあった。

「歴代のアメリカ大統領のほとんどが就任と同時に、フリーメーソン第33階級の最高位を贈られている」

そして、本書の最大の価値ある情報は、「戦後初の総理である幣原 喜重郎が戦時中から
フリーメーソンであったことが、同じくメーソンであったキャッスル米大使に暴露されていた」との件である。

それも「メーソンの指示で軍縮条約を批准し、その結果として日本の海軍力は弱まったことで 米国からの反日政策が強まり、
日米決戦の原因の重要なターニングポイントとなった」ということである。

彼はその御褒美として総理大臣になれたのである。そうです!「日本国家に尽くした人間の一部はA級戦犯
として死刑にされるのみならず名誉も奪われて、国を売ったフリーメーソンが罰せられるどころか
戦後初の首相になっている」のです!
_______________________________________________________________________
この著者である  犬塚きよ子 について書かれてある「常夜燈」があるが....
http://michi01.com/ohudohsama/360jyt26720515.html
__________________________________________________________________________
犬塚きよ子の夫・犬塚惟重 -( 海軍大佐、)が フリーメーソン、極秘文書 を手に入れた。

犬塚惟重 は、1939年(昭和14年)夏、犬塚機関が 上海のフリーメイソンリーの拠点三ヶ所を強制捜査し、
祭祀用具、進級問答集など大量の貴重品を押収した。

押収物は「極秘軍令品」として1942年(昭和17年)春に、上海から東京に運ばれた。
戦後、犬塚惟重海軍大佐の未亡人である犬塚(旧姓:新明)きよ子が、それらの「上海フリーメイソン文書」を公開し、
ソ連・支那のメイソンが大東社系であること、

当時の中国国民党内部に支那人のメイソンが多数居た事や、彼らがフリーメイソンリーを介して
アメリカ・イギリスの意向を汲む行動を取っていた事などが、明らかとなった。

ユダヤ問題との係わりー
ドイツの軍靴がチェコ、ポーランドと進むにつれて、数百万のユダヤ人が世界各地に逃げ出さざるを得ない状態になった。
しかし、彼らの目指すアメリカ、
中南米、パレスチナなどは、入国査証の発給を非常に制限し、ほとんどシャットアウトの政策であった。

英統治領パレスチナなどは、海岸に着いたユダヤ難民船に、
陸上から英軍が機関銃の一斉射撃を加えるという非人道的行為まであった。そうした中で、入国ビザなしに上陸できたのは世界で唯一、
上海の共同租界、日本海軍の警備する虹口地区だけだった。

犬塚惟重は、日本人学校校舎をユダヤ難民の宿舎にあてるなど、ユダヤ人の保護に努力した。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板