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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
3445
:
トキ
:2015/09/01(火) 19:11:37 ID:L2x2Cxas
近衛文麿元首相と佐々木惣一博士が憲法改正を急がねばならない理由は、他にもありました。
共産主義勢力の急激な拡大です。
作家の故・畠山清行さんは、こう書いています。
「日本に進駐したGHQ(占領軍司令部)が、日本国民を、軍や政治、あるいは右翼的動向や国家
主義の傾向から引き放す心理工作をすすめたことは前にものべたが、またその手段として一方で
は左翼育成政策をとった。メーデーなどに際しては、一週間も前から、
「聞け万国の労働者、とどろきわたるメーデーの……」
という、あのメーデー歌をくりかえしくりかえし、歌謡指導でもするかのように放送したり、
「民衆の旗赤旗は……」
という、戦前には口にするだけでも拘留処分にされた「赤旗の歌」まで放送するという、度を
越えた育成策をとったのである。
この政策推進の中心にあったのがGS(民政局)次長のチャールズ・ケージス大佐であった。弁
護士で陸軍参謀学校に学んだ彼は、日本の憲法草案を八日間でかきあげたというほど、頭のいい
自由主義者である。民政局長のコートニー・ホイットニー少将は、一時マニラで弁護士をしてい
たこともあるが、もともと軍人で頭の回転の早いはうではない。五年半も民政局長の椅子に坐っ
ていたのも、ケージスのような頭のいい男が部下にいたからで、彼は絶対的にケージスを信宿し
ていた。またこのホイットニーが、マッカーサーの大のお気に入りだったから、つまりこの三者
が一本の線につながっていて、ケージスも思うままに腕をふるうことができたのである。
そのため、新憲法の起草をはじめ、公職追放、財閥解体、農地改革、婦人参政権、汚職の追及
から隠退蔵物資の摘発まで、占領当初のマッカーサーの政策のはとんどは、このケージスの手に
よってなされたのだが、なかでも予想以上の成果をあげたのが左翼の育成であった。
戦後四年目の、昭和二十四年一月の総選挙では、共産党は実に三十五名の代議士を国会に送り、
巷間「革命近し」を叫ばせるまでにいたったのである。」
(つづく)
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