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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3440トキ:2015/08/30(日) 00:33:23 ID:bADBuaBM
 近衛文麿元首相は、昭和天皇が退位して京都のお寺に入られたらよい、という発想も持っており、
どうも平安時代のような感覚でおられたみたいです。

 とは言え、佐々木惣一博士も近衛文麿元首相経由で得られる情報から、占領軍の態度が極めて
強硬であることは認識され、近衛文麿元首相の意見も尊重されるようになります。

 しかし。

 11月1日、マッカーサー元帥は、占領軍が近衛文麿元首相に憲法改正を依頼した覚えはない、
という声明を出します。この声明は、近衛文麿元首相にしてみれば、二階にあげられてハシゴ
を外されたような形になりました。

 果たして、近衛文麿元首相が誤解したのか、それともマッカーサー元帥が裏切ったのか。

 児島譲さんは、「史録 日本国憲法」の中で、マッカーサー元帥が度々、自分の発言を
変える前歴があることを書いています。アイゼンハワー大統領も、その被害にあった経験
があると回顧録で書いています。

 マッカーサー元帥が、近衛文麿の評判の悪さに驚き、自分に火の粉が降りかかるのを
防ぐため、こういう声明を出したと私は感じています。

 ハーバート・ノーマンの近衛文麿に関するリポートは11月5日ですから、この声明と
は関係がないようには思えます。

 しかし、11月1日の前から、占領軍の近衛文麿元首相に対する評価は変化していたと
言います。

 「無念なり」の中では、マッカーサー元帥が占領軍顧問のアチソンを通じてノーマン
に近衛文麿元首相の情報を求めた可能性がありうる、と書いています。

 この推論は、妥当だといえるでしょう。

(つづく)


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