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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3428トキ:2015/08/26(水) 17:34:24 ID:80y8yCMM
 来日後、ノーマンの能力に着目したアメリカの要請により、ノーマンは連合国占領軍総司令部
に出向、対敵諜報部調査分析課長に任命されました。工藤氏の本によれば、ノーマンは収監中の
政治犯の調査や釈放を命じられたとあります。

 「その一環として、東京から20マイルほど離れた刑務所に、16名の主要な政治犯を訪ね、
マッカーサー元帥の指令により釈放された旨を伝えた。この時ほど楽しかったことは、自分の
生涯でなかったとノーマンは無邪気に書いている。」(「悲劇の外交官」 p168)

 この時の釈放者の中には、徳田球一や志賀義雄など共産党の指導者も含まれていました。

 余談ですが、これが後年、アメリカで問題になり、ノーマンの失脚の原因の一つになりました。

 と、同時に着手していたのが、戦争犯罪人の指名でした。戦争中の日本の指導者を「戦争犯罪者」
として糾弾することも彼の「仕事」でした。その中で、ノーマンと都留が、特に照準を合わせたのが
近衛文麿元首相でした。

(つづく)


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