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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3406トキ:2015/08/19(水) 19:25:28 ID:c8OsvbOs
ところで、当時の日本政府内でも、この大日本帝國憲法の改正の問題については、
かなりの温度差がありました。以下のくだりは有名な話で日本国憲法の歴史の本に
はだいたい書いてありますので、簡単に触れます。

 昭和天皇とマッカーサー元帥との有名な会見の後、東久邇宮首相と会見。続いて元帥と
会見した日本側の要人は、近衛文麿元首相でした。近衛文麿は筆頭華族つまり臣民で
一番高い地位を占めている人でした。もっとも歴史家から見ると、この人の評価は
かなり悪いです。日華事変を拡大し、大東亜戦争の遠因を作った責任の一端はこの人
にあると言われます。

 それはともかく、マッカーサー元帥との会見で、元帥は近衛文麿元首相に憲法改正
を強く勧めました。実はマッカーサー元帥は、近衛文麿の影響力に期待して日本側に
憲法改正を示唆したのですが、近衛文麿は「自分が憲法改正をマッカーサーから命令
された」と思い込んで、憲法改正の動きに着手します。

 近衛文麿は京都帝國大学の卒業生で、憲法の佐々木惣一教授門下でした。ですから
近衛文麿は佐々木惣一教授に連絡を取り、憲法改正の作業を依頼。佐々木惣一教授は
これを快諾します。

 佐々木惣一教授は、滝川事件で政府の弾圧と戦うなど自由と人権、立憲政治の確立
に尽力し、ついに大学を追われた人です。高潔な人格と強い信念の持ち主として知ら
れていました。また、憲法裁判所の確立を戦前から訴えていたように、大日本帝國憲法
の改正も感じていたみたいです。佐々木惣一教授は、大石義雄教授などの弟子を助手に
憲法改正の作業に着手します。

 本当なら、日本政府が憲法改正について動かなければいけないのですが、東久邇宮首相
も幣原喜重郎首相も「憲法改正の必要はない。帝國憲法自体は問題はなかったが、運営に
問題があり、人権侵害に至ったので、法律の手直しで十分に対応できる。」という対応で
あり、それはかなり固い信念だったみたいです。

 という次第で、帝國憲法改正については、近衛文麿グループが先行する状態になったの
です。

(つづく)


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