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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3367行雲流水:2015/07/23(木) 17:48:28 ID:yCrx7no6
>>3332補遺2、記事の続き

日本の国柄(くにがら) 第73号   福住蟷螂

 サン・トーマス大学に収容されていた捕虜などの釈放について、更に詳しく分かりました。
学内に突進してきたアメリカ軍に、日本軍は収容者4000人中の3700人を直ぐに引き渡しています。
300人を手元に置いたのは、交渉のためです。
日本兵の安全の確保という条件を「米軍連隊長は…快諾し」「暴民に対して〔連隊長〕自ら林中佐以下を護衛して」翌日朝に日本軍陣地まで送っています。
前線ではこのように、両軍は信頼感で結ばれていました。
 ところが「マニラの悲劇」に引用された「〔日本の〕防衛軍命令」には、「二月十日──『…目標:聖トマス大学(………)八時三十分ニ砲撃開始…』」とあります。
4日には、収容されていたアメリカ人は解放されました。戦場に止まるはずはない。5日に日本兵は撤退しました。
10日に大学内にいたのはアメリカ軍です。日本軍が砲撃するのは当然です。
GHQのアメリカ人は、省略した括弧内に、収容中のアメリカ人がいた、と書き入れて史料を改竄し、日本軍が彼らを虐殺したと言っています。
 マッカーサーの『回想録』も同じです。
「サン・トーマス大学、オールド・ビリビッド、カバナツアン、ロスパニオスの「収容所を管理している日本兵は、次第に暴虐ぶりを発揮しはじめた。」
この四箇所以外の「収容所にも、同じような奇襲を行なって」救出した。
「これはあらゆる戦史を通じて、もっとも傑出したものだろう」と自慢しています。
これでは、日本軍が全収容所で多人数を虐殺したことになります。法螺話としか判断できません。
宇都宮直賢は「例の鳴り物入りの自己宣伝以外の何ものでもない」と評しています。
 この後も、大量の民間人虐殺記述が続きます。この虐殺を事実とするためには、山下大将の命令を捏造しなければなりません。
それが、アメリカ国内で行われた対日悪宣伝の結果であることが、『回想の山下裁判』に書かれていました。
戦後、丸山眞男など多くの学者も西洋かぶれのために、宣伝に乗ってしまったのです。


引用元:『 ChannelAJER プレミアムメールマガジン』 Vol.454 2015/7/23(木)発行
筆者経歴:
福住蟷螂
昭和16年、東京生まれ。
昭和34年、都立九段高校卒業。
昭和40年、東京大学文学部哲学科卒業。
同年より41年間、私立錦城高校(小平市)に勤務、担当、現代文。


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