したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3333行雲流水:2015/07/16(木) 16:49:05 ID:YsTrSmWk
>>3332補遺

上記引用記事に先行して以下の記事がありました。2015/7/16ChannelAJER プレミアムメールマガジン Vol.444.0

日本の国柄(くにがら) 第71号   福住蟷螂

 東条英機対キーナン主席検事の対決が東條の完勝で終わった後、GHQが対抗策として始め検討したのは『マニラの略奪』の出版でした。
一年半後に本の付録で公刊された時は「悲劇」とあり、より残虐になっています。
その後、「虐殺」に更に“格上げ”になる。
しかし、今では忘れ去られ、開戦時の「バターン死の行進」が“有名”です。
ここで皆様方が、なぜ“南京大虐殺”が出てこないのかという、当然の疑問を持たれるでしょう。
現に、GHQ脚本制作の「真相はかうだ」が昭和20年末から翌年にかけて、NHKで報道されています。
その番組では、何の史料も史料となる証言もなしに「二万人も虐殺した」と言うだけでした。
三年後のアメリカ人の頭の中には〝南京大虐殺〟がなかったのです。〝南京大虐殺〟が捏造である証拠です。
日本占領中のアメリカ人がでたらめを言ったのです。
ウォーギルト・インフォメーション・プログラム(戦争有罪周知徹底教程)の一環です。
 では「マニラの虐殺」は事実でしょうか。
終戦直前、日本軍は膨大な数のアメリカ兵とフィリピン兵捕虜、民間人抑留者を抱えていました。
山下奉文指揮下の日本軍は、全員をアメリカ軍に引き渡す計画をたて、実行しています(山本七平『洪思翊中将の処刑』・宇都宮直賢『回想の山下裁判』)。
このように捕虜の生命に配慮する軍隊が、一般市民を虐殺するはずがありません。
山下大将は12月中旬、全軍にマニラ退去を命令し、六週間で完了しています(リール大尉の著書)。
ところが、海軍防衛隊を主体として3万の兵力が居残る。宇都宮の説明では、連合艦隊長官から命令があったという。
2月4日にアメリカ軍が到着した時それを知り、包囲して戦闘が始まったらしい。
この時、日本軍が一般市民十万人を虐殺したと、戦後アメリカは主張し、山下大将を処刑しています。
虐殺を日本側の証言で確かめることはできません。マニラ残留の日本兵が全員戦死しているからです。
これは通常の戦闘の場合あり得ないことです。重傷・軽傷の戦傷者のみならず、相当数の投降者も全員を虐殺した、としか判断できないのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板