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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
3307
:
誰か教えて
:2015/07/13(月) 23:29:18 ID:kEnG6jMo
「確かに、仰るように、天皇の御意志が優先されていたら、という仮定のお話の行く末を覗いてみたい気もしますね。ですが、そうはならなかったというところに、
歴史というものの重さを感じます。やはり、「摂理としての大東亜戦争」という「神の構図」が「霊的世界」に既に存在していたのではないでしょうか。」
起きてしまった戦争は摂理である、確かに全ての現象は業の流転として起きるべくして起きます。でも放っておけば起きるであろうものを少しでも良くするべく人間の
努力の余地があるのではありませんか?努力と云いましたが、人間は自由自在であるとする生長の家に於いて、回避できない戦争があるとするのはどんなものでしょう
か。天皇が神の顕れであっても、その意思が地上経綸の絶対の価値が無いまたは斯くすべしと主張できないのであれば、天皇存在の価値は何処に見出すのですか?
神なる天皇が戦争はしたくないと思っても、神が実相顕現の一段階として戦争を企画したとは?天皇の意志を第一にするということが出来なかったから戦争への道を進
んだのであって、仮定の話で片付けられるものですか?このような所に生長の家で言う天皇なるものの存在に疑問を感じます。
起きた現象に価値を見出すのであれば、戦後70年戦争放棄の現憲法の元一度も戦争をせずに来たのは、大変素晴らし事であると云えませんか?天皇陛下が戦争は嫌だと
云っても時の政府が戦争をすると決めれば戦争への道を進む。そんな帝国憲法より、戦勝国の都合で軍備を持たず国家の意志としての戦争放棄を決められたとしても、
憲法の言葉道理に70年戦争から離れていたことは事実であり、事実の歴史に重みを感じると云われるのであれば、戦争のない世界実現への偉大な先駆者の道を歩く民族
として歴史に名を残しつつあると云えますね。それこそ神なる天皇陛下の悦びであるとも言えます。
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