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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3268行雲流水:2015/06/19(金) 17:21:02 ID:a4Lv53qU
目から鱗、楽しく勉強、風雲急を告げる中国情勢「李鵬一族の邯鄲の夢は終わった」、周恩来は地獄で泣いているかも。

今日の宮崎メルマの記事:

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015)6月19日(金曜日)
   通算第4582号  
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 李鵬一族の黄昏、周恩来は地獄で泣いているかも
  李小琳は「李公主」とまで称賛された黄金の日々も「邯鄲の夢」に。
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 李鵬の娘、李小琳は父親の名代として電力業界を牛耳った。「李公主」とまで渾名がついた。
その華麗なる日々も終わりを告げ、落剥の後人生に陥落する。すでに既報のように、6月9日、李小琳は「米国の会議出席」を名目に北京空港から出発しようとしていたところ、突如、「出国禁止」が言い渡された。

「マネーロンダリング容疑と言われた」(多維新聞網、6月19日)。すでに電力関係の国有企業幹部は十数名が取り調べをうけている。

李小琳につけられた「李公主」という渾名は、明らかに「文成公主」にあやかっている。王朝の救世主、あるいは権力者の犠牲、という二重の意味がある。

六世紀、西方に台頭した吐蕃(チベット)は青海省を攻略して落とし、長安(西安)に迫るほどの軍事大国だった。七世紀(638年)、唐王朝の皇帝は娘の「文成公主」を吐蕃の王=ソンツェン・ガンポの息子に嫁がせた。
明らかな政略結婚である。
ソンツェン・ガンポは名君として歴史に輝くが、チベットに仏教を導入した国王でもあり、日本が後世に採用する官位十二階制の発案者でもある。

中国歴代皇帝で、異民族に皇女を嫁がせたのは前漢のおり、「きょうど」に嫁がせた「王昭君」など少数の例外しかない。
ちなみに文成公主は夫が落馬死したため、父親で皇帝に返り咲いたソンツェン・ガンポと再婚した。

文成公主の巨大な、白亜の像は青海省青海湖の畔に屹立して、長安の方向に別れを告げる構図となっている。筆者は十年以上までに青海湖のまわりを一周したおり、この像をみて、慈母観音も似ていると思った。

もう一つ脱線すれば、王昭君の銅像は、内蒙古省フフホト郊外に公園があり、その場所に騎乗の構図、公園はいまでは観光地化し、モンゴルのゲルが並んでおり、なぜかチンギス・ハーンのミニチュア像や肖像画が売られていた。


▲盛者必衰の理

さて李鵬一族の黄昏のことである。
李鵬元首相の息子ふたりは「どら息子」の典型で、兄の李小鵬はようやく山西省省長にして貰ったが、殆ど政治的実権がない。省長になるとき、李鵬は回想録の出版をとりやめて、胡錦涛政権と妥協した経緯もある。

李鵬は世上いわれた「天安門事件」における学生の弾圧は、自分が指示したのではない、と釈明の書を世に問おうとしていたのだ。

弟の李小勇は不動産投機に失敗して、ながらく米国に滞在したが、そのご、香港に舞い戻り怪しげな不動産開発集団の名目上の代表となった。ところが事実上の経営陣の投機失敗などで、李小勇はシンガポールに逃亡した。
「紅色家族」の「神秘商圏」などと面妖な比喩で、権貴階級は揶揄されてきた。

 娘の李小琳はビジネスウーマンとして一際光り、ボーアオ会議(中国版ダボス会議、日本からも歴代首相が参加する)でも発言するほどの実力を見せてきた。

しかし李鵬一族への風当たりが強まり、電力数社が産業再編の政治課題の下、新会社として合併する「中国電力投資集団公司」の役員リストに李小琳の名前がないことが判明し、にわかに周辺があわただしくなっていた。

 「邯鄲の夢」の続きは刑務所でみることになりそう。義祖父の周恩来、泉下でさぞや泣いていることだろう。


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