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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
2978
:
志恩
:2015/02/19(木) 13:33:08 ID:.QY5jUA6
雅宣総裁は、
「聖戦」と、雅春先生が、書かれておられたことを、
神が望まれたという意味の「聖戦」だと、ご自分流に解釈されて、「聖戦」と書かれてある雅春先生の著書を
悉く、絶版にするように、部下の磯部さんに 命じられたのではないでしょうか。
先にも書きましたが、
「聖戦」とは - 「尊い目的で行われる戦争」のことをいうのです。(wiki)。
「聖戦」とは、 神が望んだ戦争という意味ではないです。
清超先生が、総裁を継承された直後、
その雅春先生の「聖戦」論を否定した発言をされた。そして、雅宣総裁も、清超先生に同意する考えであると、
読者に受け取れる書き方を。ブログで、されてます。(⬇に添付)
でも、それは事実ではないですよね。訊け様のブログに掲載されてましたように、
谷口雅春先生は、「誇るべき点、はずべき点」…両面からみられた発言をされていらしたのですから。
一面だけの「聖戦」だとのみを、書かれておられなかったのですから。
読者に誤解を与えるご文章を、雅宣総裁は、ブログに書かれておられたと思います。
「侵略戦争だった」ことのみを、雅宣総裁は、総裁として宣言されましたので、
多くのブーイングが、雅宣総裁に集結し、左翼だといわれるようになりましたのも
訊けさんのお言葉を、おかりするならば、あたりまえだのクラッカーだということになります。
...............................................
●雅宣総裁ブログより ○2010年10月28日 小閑雑感
【谷口清超大聖師二年祭にあたって・・の、正直な私の感想です。】
(略)
>>昭和61年2月9日の生長の家栄える会全国大会での(清超先生の)講話の筆録でありますから、
谷口雅春先生が亡くなられてから約半年がたった頃のお話です。
つまり、清超先生は、雅春先生のご昇天後の講習会では各地を回りながら、「戦争の原因は人間の執着心である」ということを説き続けられていたのです。
戦争の問題について書かれた2冊の著書には、「大東亜戦争は聖戦だった」などということはひと言も書かれていない。
それどころか、清超先生は、神が望まれる“聖戦”などというものは存在しない、と繰り返し説かれてきたのです。
このことを今日、清超先生の二年祭にあたって、ぜひ皆さんと共に再確認したいのであります。<<
(略)
((志恩ー)そして、執着によることから、戦争になり、資源を他国から奪い、自然を奪う事になるからと、
雅宣様は、お決まりの「宗教家は、自然環境問題をやらなければならない」へ、つなげる発言をされて、締めくくっておいでです。)
>>具体的に言えば、自然から奪い、他国から奪い、貧しい人々から奪う結果となる化石燃料の使用をやめて、
豊かにある自然エネルギーの利用を通して、人々や動植物と共存し、さらには与える生活の実現を目指していかなければなりません。
谷口清超大聖師二年祭にあたり、清超先生の教恩に限りない感謝を捧げ、
その教えにもとづいた運動をさらに拡大していく決意を新たにするものであります。<<
..........................................…
志恩ー
清超先生は、2冊の著書を出版されておられた。(平成元年、同4年)
ですが、平成元年のときの、それを編集された、編集部長は、なんと、雅宣様だったのです。
そして、このブログに書かれておりますが、その著書を 清超先生が書かれる時は、
清超先生は、雅宣様に相談しながら書いたとありました。
ということは、つまり、この本は、雅宣様の息吹、思想、考え方が、相当に、練り込まれた
著書であったことは、充分に予想されることではないでしょうか。
2冊目も、清超先生は、大東亜戦争について、雅春先生のご意見に反することを書かれたとありますが、
私は、その2冊とも 拝読はしておりませんけれど。
容易に、2冊とも、雅宣様の、考えが、練り込まれているであろうということは、推察 出来るではありませんか。
つまり、2冊とも、清超先生の本でありながら、雅宣様の本でも ある、
というような内容になっている。ということです。
今までの、生の証言も 含めまして、数々の証言から、
雅宣様は、副総裁にご就任のときから、ずっと、生長の家教団の、実の権力者であり、真の決定権を持っているのは、雅宣様だといわれていますが、
それが、事実であるのではないかと、思えております。
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