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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2970アクエリアン:2015/02/18(水) 21:46:05 ID:X49tdNOI
「歴史は虹のようなものだ」・・・日本保守派の重鎮渡部昇一先生は、イギリスの英語学者オーエン・バーフィールドの歴史虹論を次のように解説しています。

「彼は『歴史的事実』と『国史』すなわち一国の共同表象になる歴史を区別した。歴史的事実は中央、地方、対外の出来事などなど無数にある。しかしそこに虹を見ようとするなれば、特定の視点と距離が必要である。雨が上がったからといってどっちを向いても虹が見えるものではない。視線の方向が重要である。また虹をもっとよく見ようとして近づけばよりよく見えるものでもない。虹にあまり近づくと虹は消えてしまう。つまり国史というのは無数の水滴の中に虹を見ようとする行為に似ていて、無数の歴史的事実の中に、その国民の共通認識となるような虹を見ようとする行為というべきものなのである」

渡部昇一氏 歴史通2010.3「歴史は虹のようなものだ」より

オーエン・バーフィールドは歴史とは美しい虹を見るようなものだ、というのですね。
この考え方に感銘を受けられた、渡部昇一先生はバーフィールドの歴史虹論を紹介されていて、私もこの考え方に共鳴します。

あまりに歴史的事実に近づいてしまって、それに囚われてしまっては、「侵略」という水滴しか見えなくなってしまう。これでは、日本の美しい虹は見えてこない。現総裁はあまりにも国際法の視点に囚われてしまって、バランス感覚を失っている状態ではないのか。

この総裁の日本の歴史のバランス感覚喪失状態は、教団幹部にも感染しているようで、
黒河内元理事長は、著作権裁判において、大東亜戦争は侵略戦争であったというのが生長の家の見解です、と裁判所で明言したそうですね。

これでは、神意の発露、催し、としての大東亜戦争の意義は見えてこないですね。

 昭和三十五年八月十五日に奏上された「大束亜戦争無縁戦没者英霊に捧ぐる辞」には、次のように書かれています。

「あの戦争には宇宙の人類進化の神界のプラグラムを達成する役割を演ずる偉大なる犠牲者出現せざるべからざりしなり。その偉大なる役割を演ずるために開かれたるが あの大東亜戦争なり その偉大なる犠性的役割を演じて自己の生命を献げて人類進化に道をひらきたるが あの大東亜戦争において戦死されたる卿等日本軍の将兵たちなり(中略)キリストが一身を献げて人類の身代りとなりしがごとく 卿等は一命を捧げて 大東亜諸民族およびアフリカ諸民族の魂の自覚の進歩のために貢献せるなり」


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