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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
2800
:
ぼるぼ
:2015/01/20(火) 17:00:29 ID:5f5Tg4S6
目から鱗、楽しく勉強、1/14と1/20のメルマ記事、コピペ:
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『 ChannelAJER プレミアムメールマガジン』 Vol.312.0
2015/1/14(水)発行
第一章 無条件降伏の戦争指導
憲法を含めて戦後政治の体制の大枠は、米国の日本占領中につくられた。
サンフランシスコで講和条約が締結され、その占領中につくられた枠組の修正が試みられたが失敗した。
占領中に米国によってつくられた制度などが、日本自身が選びとった制度のようになっていった。
日本の現在の制度の根幹は、占領時期に求められるので、占領期のいわゆる改革がどういうものであったかを理解することが必要であり、
また、その占領の背後にあった米国の戦争指導方針を理解することが必須の条件である。
米国の戦争指導方針は、一言で言えば、フランクリン・ルーズベルトが編み出した無条件降伏であった。
国家による無条件降伏と言う概念は、第二次世界大戦で初めて生まれた概念であるが、核兵器の時代になって、
核兵器保有国を無条件降伏に追い込むことができなくなって、その無意味さが露呈した。
ゴルバチョフのソ連がいかに弱体化しても、核保有国であるから、ブッシュ大統領も手をこまねいて見ている以外に手立てはなかったのであるが、
日本は、たった一回の実験に使われることになった。
ルーズベルト大統領の無条件降伏という戦争指導は、ウィルソン主義の失敗を避けるために修正したものである。
ウィルソン大統領は、米国世論を第一次世界大戦で参戦にまで盛り上げながら、権力政治むき出しの講和会議となり、
米国民の失望をかい、孤立主義に走ってしまったことである。
また、ウィルソン大統領は、米国の指導力を発揮しようとせず、負けたドイツにも涵養であったことだ。
ウィルソン大統領の下で、フランクリン・ルーズベルトは、海軍次官をしているが、ウィルソンの理想を達成するには、
パワーという牙が必要であるということであった。
ルーズベルトの信条は、パワーとは世論の団結から生まれ、世論が一枚岩になればできないことはないというのが,野心家ルーズベルトの信条であった。
民主主義国家の戦意を鼓舞するには、善と悪との戦いに仕上げて、悪の権化を粉砕して、
戦後処理の過程で徹底的に処罰して,将来の見せしめにする。そのために発案されたのが、無条件降伏であった。
一枚岩になった世論を梃子にして、国際連合、自由貿易、ブレトン・ウッズ体制などを想定していた。
ずば抜けて強い通貨としてのドルが必要で、米国なしでは機能しない世界新秩序をルーズベルトはつくろうとしたのである。
ずば抜けて強い保安官の役割を担った。
無条件降伏の概念を最初に発表したのは、1943年にチャーチルとカサブランカで会談したときである。
軍隊の無条件降伏の概念はあったが、国家の無条件降伏はなかった。
無条件降伏を要求すれば、負け戦の側が徹底抗戦をして、先頭が長引くことになることも予想され、
ヤルタ会談でチャーチルが口に出したとされるが、ルーズベルトは、膾炙しなかった。
もちろん東郷参謀本部の軍人には理解できることであった。
硫黄島では、守備隊2万三千人が二百人を残して玉砕したが、米軍の死傷者も二万三千人であった。
軍隊では、戦闘能力がなくなることを1とするから、互角の戦いであった。
統合参謀本部のマーシャル議長は毒ガスの使用を考えるが、ルーズベルトは、4月12日に死亡するまで、無条件降伏の修正を一切考えていない。
(つづく)
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