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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2579アクエリアン:2014/12/12(金) 20:33:27 ID:0BmYZB62
>「昔の、生学連の仲間に会うと、『この裏切者!』って叱られるんですよ(笑)」(鈴木邦男・談)

鈴木さんの「宗教なんてこわくない」という中に、こんなことを書いておられます。

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 一水会をつくって二十年。学生運動を含めると二十五年以上、この民族派の運動をやってきた。それを支えたのは何もイデオロギーでもないし、三島由紀夫でもなかった。生長の家で学んだ宗教的、精神的なものだったと思う。そうした内面的なものがなければ、とっくの昔にこんなことはやめていただろう。・・・・・・

 今、大川隆法氏が政治改革経済改革と言っているが、二十年以上前に生長の家では同じ事を主張していたのだ。あっ思い出したぞ。あの頃は、霊的学問大系の樹立とか霊的文化大系とかも言ってたなー。生長の家の総論は谷口雅春先生が述べられている。だから各論は俺たち学生がつくるのだと意気に燃えていた。 ・・・・・・

 宗教には昔から関心を持っていた。いや、関心なんてものじゃない。母親が生長の家という宗教団体に入っていた関係で、小学生の頃から生長の家の神童会に時々行かされていた。中学生になってからは、三泊四日の中学生練成会に参加した。高校では生高連の宮城県の責任者だった。それに高校は東北学院というミッションスクールで毎朝、礼拝があった。
 だから、もの心がついた時から宗教の中にひたって生きてきたようだ。大学に入ると生長の家の学生道場に入り毎朝四時五十分に起きてお祈りをした。それを六年間、一日も休まずに続けた。今考えても、すごいと思う。生長の家の学生組織「生学連」の書記長をやり、それを基盤にした民族派の全国組織「全国学協」を作り、そこの初代委員長となった。
 そして、三十年近く、この民族派の運動をやってきた。こうしてみてくると筋金入りの宗教活動家のようだが、そうでもない。生長の家は、信じられないほど明るく自由な宗教だった。いやなこともあったが楽しかったことの方が多い。生長の家の運動の中で青春を燃やし、一途に生きてきた。無神論者から見ると、その頃の僕なども「狐つき」であり、「クレージー」に見えたかもしれない。
 しかし、信仰を持ち、宗教活動に打ち込めたことは本当に素晴らしかったと思う。何ら悔いることはない。


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