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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2556アクエリアン:2014/12/07(日) 11:59:19 ID:0BmYZB62
愛国本流掲示板に素晴らしいご投稿がありましたので、転載させてもらいます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=2074

ー 大東亜戦争の意義 ー


   生長の家創始者  谷 口  雅 春 大聖師


 惟うに、日本人がこの地上に今ここに生きているというのは、それは過去の歴史というものをわが生命の流れに背負って来て居るのです。 今‘ひょっこり’と生れて、歴史的に何のつながりもない人というのは一人もないのであります。

 悠久二千六百年 〈二千年だと言う人もあるけれども〉 神武建国以来、或は、遡れば、もっと前からずっと続いている民族の歴史を背負って生きているのが吾々でありますけれとをも、

ともかく日本という国が肇まる前の混沌たる地方に無数の酋長や小村分立の蒙昧の時代からそれを統一してヤマトという統一国家を建てられたところの天皇  ――  

その治下に於て我々の祖先は生活して来たのであります。 そしてその御恩沢の中に我々は生かされて今此処に生きて居るのです。 国民は個人ではなくて、日本建国の歴史的生命の連続として生きているのです。

 それなのに、戦後の日本は輸入された民主主義で 「個人」 を日本の歴史から切り離して、民という個人が主人公であると言う、それをもって個人の目覚めであると威張っている。


 豈はからんや、その個人が目覚めるようになったのは誰のお蔭であるかと言うと、やっぱり吾々が過去の歴史的生命を背負って、その歴史的生命の進展の途上、

その段階に達して初めて自己の生命の尊厳を知る事が出来るようになったのである。 日本の建国の歴史を離れて民主主義の自覚はあり得ないのであります。


 大東亜戦争なんかも、ただ一概にあれは悪い悪いと言う人がありますけれども、あの戦争は歴史的流れに於て、アジアに対する白人帝国主義の侵略に対するアジア民族の抵抗のあらわれとして起るべくして起ったのであり、

日本が有色民族の代表として白人帝国主義の侵略に抵抗することがなかったならば大東亜の諸民族は現在も白人種の奴隷であり、またその土地は植民地にされたままであった。 

日本が米英和蘭等に対して戦ったお蔭でアジアは白人帝国主義の桎梏を脱することができたのです。 だから、アジアの諸民族は、日本のあの戦争に対して、ありがとございますとお礼を言っても差しつかえがないと思うのであります。

 人あるいは、日本も帝国主義で満州や朝鮮を侵略したではないかと言うかも知れないけれども、ロシア勢力の南下に対して、日本が朝鮮に進出し、満州に防衛地域を築いておかなければ、今頃、日本は地図の上から消えてしまっていたのであって、

日露戦争は、中国の領土に南下進出していたロシアを叩いて、そのロシアの勢力圏を日本の勢力圏にしたのであり、しかも、日本は満州を自己の領土にしないで、其処に五族協和の理想のモデル国家として満州国を建設したのであります。

 それはロシア勢力の南下を喰いとめる為に必要な措置であって、中国が目覚めるまでは、日本が代って中国の防衛に当らねばならなかったのです。


 私は別に戦争を謳歌するというわけじゃないのですけれども、起るべくして起っているものを、日本民族の侵略だと言うのは間違いなのであります。

 どんな逆境というものでも、皆人類の魂をみがく為に出てくる所の一つの学校であるということを私は常々話しているのでありますが、そうすると、

ロシアの南下、ロシアの満州・朝鮮への進出、日本の反撃、日露戦争、日本の戦勝、ロシアの勢力地域への日本の進出、日本の勝利による有色民族の目覚め、中国民族の目覚め、日本と目覚めた中国との衝突、日本の進出に対するアメリカの嫉妬、

アメリカの中国への援助、アメリカの援助を断ち切るための真珠湾爆撃  ――  こういうように順序をならべて見ると、あの戦争は有色民族の目覚めのためにも、日本の尚一層の目覚めの為にも必要であったのであり、あの戦争が若し無かったならば、こんなに日本人の個人の尊厳についての考え方がこんなにパッと変るという事もなかったにちがいないのです。

続きます


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