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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2538アクエリアン:2014/11/24(月) 10:54:46 ID:0BmYZB62
>>2537

ケント・ギルバートさんは、三島由紀夫研究会で講演されていますね。

アメリカ人にも、占領憲法の欺瞞性を喝破している方もいれば、占領憲法擁護を発言されているおめでたい方もいる。


『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
       平成21年(2009)4月17日(金曜日)
            通巻第317号  
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  ♪
「公開講座」(24日)を前に
  ケント・ギルバート氏から篤いメッセージが届きました

 「なぜ私は三島由紀夫『春の雪』に惹かれたのか?

 大学一年生のときに、教会からの指示で日本へ伝道に行くように言われ、選ぶことも断ることもできないまま日本に渡った。そこで日本語を学び、帰国後は大学で日本文学を学んだ。
モルモン教徒として厳しい戒律の中で生活していたとき、三島由紀夫の「春の雪」と出会い、自由奔放に生きる主人公の姿に感銘して三島由紀夫を読むようになった。英訳本は知りうる限り全て、後には日本語版で可能な限り読破した。学生時代、三島に関する論文も書いた。

大学時代、最初は英訳本を読んでいたが、だんだん日本語版で読むようになった。
1975年、沖縄海洋博覧会のときにスタッフとして招聘され、再び日本の地を踏む。その頃はある程度自由に日本語を操ることができるようになっていた。
大学に戻って法律大学院(ロースクール)に通っていたが、同時に日本文学学科の日本語教師を兼任していた。
 モルモン教は自死を厳しく戒めているが、それは「私の世界」での自死であり、三島由紀夫の死は、モルモン教が規定している自死をはるかに上回る死である。教徒である私(ケント)自身、三島の死の意味を、今尚考え続けている。

三島の死を考えるとき、天皇の存在を抜きには考えられないのだろうが、「究極の価値」ということなのか、と漠然と感じている。残念ながら「文化防衛論」をまだ読んでいないので私(ケント)にはまだ天皇の本質的意味を理解できずにいる。

三島由紀夫も、時代の戒律の中で生き続けたが、作品の中では自由に、奔放に人間模様を描いている。人の生き方、存在を、もっともっと三島から学ぶべきことがあるのではないだろうか。

英語の世界(アメリカ)で、最も知名度の高い日本文学者は間違いなく三島由紀夫である。それは、作品の完成度の高さに由来すると思う。川端文学は、結論がはっきりとしない。遠藤文学はキリスト教を題材にしているが故の評価である。それ以外はほとんど知られていない。
川端よりも三島こそがノーベル文学賞にふさわしい作家であると思っているが、なぜ三島でなく川端だったのかについても疑問に感じている。それを解明したい。
 (文責 編集部)


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