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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2341老婆心:2014/09/08(月) 15:41:49 ID:bqCTlaUM
(続き)

さて本書の重要部分である。
 第一はFDRがおこなったニューディール政策が完全に「失敗」していたという事実を把握しなければならない。このため、社会主義者、共産主義左派がホワイトハウスに潜り込み、「訳の分からない組織が乱立した」(38p)。
 使い放題の資金をばらまく組織が社会主義者らによってオーガナイズされ、それでも経済不況は終わらなかった。
猛烈にFDRは戦争を必要としていた。ウォール街の利害とも一致した。
FDRは「スターリンの友人であるとのべていた。スターリンは世界最悪の殺人者である。FDR自身は確かに共産主義者ではない。彼はキリスト教を信じていた」
ところが、周辺にはコミンテルンのスパイがうようよとしており、FDRの展開した「政策は間違いなく社会主義的であり、我が国の集産主義化あるいは国家社会主義化への地ならしとなるものだった(中略)。この事実はFDRがフェビアン社会主義者であることを示している」

 第二はFDR自らが、殆どの権力を集中させ、議会に知らせずに「日本に対する最後通牒を発した。そして戦争への介入に反対する非干渉主義者を徹底的に迫害した。(中略)FDRは世界の半分をスターリンに献上した。そこには中国も含まれる。それはヤルタでの密約の結果であった」(45p)
 なぜなら「レーニンが立てていた計画の第一段階は東ヨーロッパの共産化であった。それがヤルタ会談で(スターリンはあっけないほど簡単に目標の獲得に)成功したのである。次の狙いが中国の共産化であった。それもスターリンの支援によって成功した」

第三は世界観の誤認であろう。
なぜヤルタ会談でFDRは、そこまでスターリンに譲歩したのか?
「FDRはソビエトに極東方面への参戦を促したかった。満州を含む中国をソビエトに差し上げる。それが条件になったしまった。(中略)戦いでの成果の分配と戦後の和平維持、それがヤルタ会談の目的に筈だった。しかし結果はスターリンの一人勝ちであった。イギリスはその帝国の殆どを失った。アメリカは朝鮮戦争とベトナム戦争の種をヤルタで貰ったようなものだった。戦後三十年に亘る冷戦の原因を造ったのはヤルタ会談だった。ヤルタへの代表団にはただの一人も共和党員が撰ばれていない。中立系の人物も、経済や財政政策の専門家もいなければ、国際法に精通した人物のいなかった」(287p)
つまり病んでいた(肉体的にも精神的にも)FDRの周囲を囲んだスパイらの暗躍とスターリンの工作司令に基づきアメリカの政策を間違った方向へ舵取りし、世紀の謀略の成就に成功したというわけである。

翻訳者の渡邊惣樹氏がまとめの解説をしている。
「ルーズベルトの死後、彼の対日外交の詳細と日本の外交暗号解読の実態が次第に明らかになり、ハルノートの存在が露見すると、フィッシュはほぞを噛んだ。窮鼠(日本)に猫を噛ませた(真珠湾攻撃)のはルーズベルトだったことに気づいたのである。彼は、対日宣戦布告を容認する演説を行ったことを深く愧(は)じた。彼はルーズベルトに政治利用され、そして、議席を失った」
本書はアメリカにとって「不都合な真実」が書かれており、いまだにフィッシュは「修正主義」のレッテルを貼られている始末だが、修正主義は左翼のプロパガンダ用語に他ならないのである。
そして総括的読後感はといえばスターリンに騙されたFDRは、ただの政治屋に過ぎず、世紀の陰謀を巡らし、そのためスパイを使いこなしたスターリンはまさに孫子の兵法を見事に実践し、孫子から二千数百年を経て、「出藍の誉れ」の典型的な謀略政治家となったのだ。


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