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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
2191
:
うのはな
:2014/07/22(火) 21:59:57 ID:SPQWdu7M
民間人には手を出さないようにしていた日本軍
攻撃をしかけられた日本軍には不拡大方針がありました。戦争を拡大しないでおこうという方針のもと、
当初、防戦だけに専念していました。しかし、中国軍の主力の攻撃があまりにも激しく、防戦一方では全滅してしまう危機に
陥りました。そこで日本からの援軍が上海に上陸します。
こうなれば本格的な戦いです。攻撃されたら相手をせん滅するまで戦わなければなりません。
上海での壮絶な戦いが始まりました。日本の戦争の歴史から言えば、この戦いで、日露戦争の旅順の戦いに次ぐ多くの犠牲者を出しました。
日露戦争は大戦争でした。この上海事変も宣戦布告もないまま大戦争になったのです。
そして、日本軍はやっと上海で勝利を収め、中国軍は上海からほどない当時の首都、南京に逃げます。
当然、日本軍は中国軍を追撃します。この追撃を問題にする人がいますが、戦争の時には、勝ったほうは追撃し、相手を全滅させるまで攻撃を緩めません。
これは戦争の鉄則ですので、日本軍もその鉄則のとおりにやりました。
おおよそ1ヶ月後、南京に日本全軍が到達し、南京城を囲みます。
南京に逃げ込んだ中国軍は、すべて南京城の中に入っていたのです。攻城戦になりました。城を攻める戦いにはルールがあり、まず包囲している軍隊が「降伏しろ」という手紙を送ります。
なぜかというと、攻城戦が始まると、城内の人は、軍人も民間人も見境なく攻撃されます。
負けると民間人を含めて全滅する恐れがあります。ですから、まず「降伏しろ」「民間人は逃げろ」という勧告書を出すのです。事実、南京城内の中国人もかなり逃げましたが、中国軍が
兵の逃亡を恐れて、城の門を閉めてしまいます。
最終的には、城の中には約20万人の民間人と、約15万人の中国軍が残ります。そこで本格的な戦闘が始まりました。
驚くべきことに、戦闘が始まる前、中国軍からは偉い人が先に逃げてしまいます。戦闘が始まった時には、蒋介石もいないし、司令官すら逃走していたのです。
また、中国軍には、兵士が逃げないように督戦隊という特殊な兵隊が揚子江側に控えていました。この督戦隊というのは、逃げる兵士を撃つ、つまり友軍を撃つ任務を
負っている中国独自の部隊です。この部隊が相当数の中国人を撃ち殺しました。こういう状態の下、激しい攻城戦が行なわれ、やがて日本は南京を占領します。
この時、城内に取り残されていた20万人の民間人は、戦闘の巻き添えになって死んでも仕方がなかったのです。というのは、城外から大砲を撃つのに、城の中の地形をわかって
撃つわけではありません。無闇やたらと撃ち込むので、民間人にも犠牲者が出てしまうのです。
南京戦では、割合早く中国軍が劣勢となり、破られた城壁から突入した日本軍は、中国軍を銃撃しました。その結果、20万人いた城中の民間人は、ほぼ20万人残ったのですが、そのうち
1000人ぐらいは死んだかもしれません。
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