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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2152うのはな:2014/07/15(火) 12:18:06 ID:DTjM0LVo
トキを生かせば国から予算が下りる

 かつて上野動物園の園長だった人に、「なぜトキを保護するんですか」と聞くと、園長さんは
「動物についてのみんなの関心を引くためだ」と言いました。
つまり、動物園の人や生物学者は、みんながもっと動物のほうを向き、もっと予算を付けてほしいと願い、
そのためにトキを犠牲にして苦しい思いをさせ、拷問しているのです。

 また10年ほど前、「種が減っている」という環境運動家の話を聞きました。
著者はまずは知識が必要だと思い、名古屋大学の生物の先生のところに行き、「生物が絶滅して困るという話がありますが、地球上の生物の種の数は
いくつぐらいがいいのですか?」と聞きました。

 その先生はとても誠意のあるいい先生でしたが、「そんなことはわかっていません。ただ、私たちは研究している種が絶滅すると、研究費が10分の一になるので、
とても困るのです」と言われました。これも研究費獲得のために、動物を無理に絶滅させないようにする、という考えです。
「トキは絶滅から救おう!」という運動から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか?
生物は絶滅を繰り返し、環境に適合できなかったり、生存競争に敗れたりしながら生きてきました。

 体の大きいトキが、日本列島で人間が増えてきたことによって、オオカミと同じように絶滅に瀕するのは、ある意味で当然のことです。
だからといって、人間の人口を減らそうというのも自然の動きとしては適切ではありません。
 この日本列島は人間だけのものではありません。ある程度の自然保護は必要ですが、自然保護のために人間の数を減らすというのは、人間の判断が
自然の判断を上回っているという、たいへん傲慢な考えだと、著者には思われます。

 最近、東京の池では、ゲンゴロウが静かにその姿を消したといわれています。
ゲンゴロウの絶滅はだれも注意しないのは、ゲンゴロウが小さい昆虫だからでしょう。
しかし、著者はゲンゴロウもトキも同じように思えます。ゲンゴロウの体はそれほど大きくなく、
東京に池が残っていれば、今でも元気な姿が見られるでしょう。池があるとボウフラが発生し、カが増えます。
人間はそれに耐えられません。つまり、人間の勝手で、ゲンゴロウが絶滅したともいえるのです。

 このようにトキの保護が、生物を大切にすることにもならず、トキがかわいそうだということでもありません。
たんに研究費の獲得のために、まず日本人を騙し、トキを苦しめているのです。
そのことが、なぜ、日本社会の理解を得られないのでしょうか?それには二つの原因があると考えられます。

 第一に、この本の主題の「言葉の魔術」で、「トキがかわいそう、トキを絶滅から救おう」と言われると、そこで思考が止まり、
なぜトキが絶滅しそうになっているのかということを考えることができなくなるのです。
 第二に、日本社会の「空気」の製造と、一人ひとりの勇気のなさが挙げられるでしょう。
聖徳太子が言ったとされる「和を以て尊しとなす」という日本人の基本的な道徳は悪いことではありません。
しかし、和を重視するあまり、事実でなくても多くの人が同意することには逆らわない、法律の上に「村の掟」があっても仕方がない、などという
前近代的判断に常に優先されているように思います。

 私は一つひとつのことを自分の頭で考え、その結果が多くの人がつくった空気と違っても「私はこう思います」と言います。
そうすると相手が仰天することがあります。なぜ仰天するかと言うと、みんなが言っていることと違うことを言える人がいるのだ、と驚かれるのです。
私たちが学校で教育を受け、考える力を養うのは、私たち一人ひとりが魂を持った人間であるからではないかと思うのです。

 その意味で「トキは死んだほうがいい」という言葉の中には、私たちが今後考えていくべきことが含まれていると思います。

政府・マスコミは「言葉の魔術」でウソをつく 武田邦彦 著


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