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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2106HONNE:2014/07/08(火) 00:31:39 ID:jtmmmlXY
つづき

○顕斎とは形に顕して神祀ることであり、幽斎に対する宗教上の用語だと言へば、ただそれだけで簡箪なこ
とであるが、それを人間自身の新生に、そして国家の新生に関連してこのやうに深く考へた人は少いのでは
ないかと思ふ。キリストは「主よ、主よといふ者、必ずしも“神の国”に入るに非ず。神のみ心を行ずる者
だけが“神の国”に入るのである」と聖書の中で喝破してゐられるのである。「顕斎」といふものを、表面
の儀礼的儀式的形式的祭祀だと単純に考へてしまふ者があるならば、その人は、このキリストが警告したと
ころの「主よ、主よと言ふ者」に当るのであって、その人の信仰は形骸に堕してゐるのであって、その人の
信仰には魂の真摯さが欠けてゐるのである。まことに住吉本宮の「顕斎」とは、眠ってゐた實相の魂が、その
眠りから目醒めて、自己が“神の子”であるといふことを開顕する、そしてその開顕され實相の誠實さが現
實生活にあらはれる「新生」でなければならないのである。わたしは日本国民のすべてが住吉本宮の建立を
契機としてその誠實を結集して、自己を「神の子」として礼拝し、住吉大神の分身として宇宙浄化の、そし
てその浄化の中核体たる日本国浄化のために起ち上り、単に「主よ、主よ、神よ、神よ」と呼ぶ者たるに留
らず、神の御心を行ずる者となって下さることを希はずにはゐられないのである。

おわり


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