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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
2105
:
HONNE
:2014/07/08(火) 00:30:35 ID:jtmmmlXY
つづき
さて次に考へられる事は、人間が神であるならば「私には出来ません」といふ考へやコトバがあっては
ならないのである。またすべての人類が神であり、神の生命の兄弟・姉妹であるならば、誰それの悪を批評
することもあってはならないのである。人間が紳であるならば、その人の行く所謂和の世界が、健康の世界
が、豊かな世界が現はれて来なければならないと老へられるのである。
次には我々人類が神であり、神の生命の兄弟・姉妹であっても、それは實相のことであって、現象に於い
ては具体的に男性であるか、女性であるかでなければならない。また親であるか、子であるか。兄姉である
か、弟妹であるか。夫であるか、妻であるか、嫁であるか姑であるか、主人であるか下僕であるか、普通の
会員であるか。役職人であるか、どのやうな職業の人間、何処の国の人間で、何処に住んでゐるか等々数へれ
ばキリがない程であって、それは平等であると同時に差別があり、差別があって平等であるのが人間神の子
であり、この眞理を完全に生き切ることが人間・神の子であり、人間・神の子の眞理を知ったといふことに
なるのではなからうか。
私は練成会含の講話の中でこのやうな話ばかりを話しはじめた。これがわからなければ、総裁先生の住吉本
宮御造営の御精神が分らないやうに思はれるし、顕斎の意義も、新生の意義も分らないやうに思ったからで
ある。世界を浄めるといふことは、世界の思想を変へることであり、世界の思想を変へるには先づ自分の思
想の徹底的な転回が行はれなければならない。しかも、長崎の龍宮住吉本宮と顕斎殿の落慶は我々の思想が
徹底的に“我神なり”の自覚に昇華する、新生する是非なき機会と考へなければならない。この慶事によっ
て日本のみならず、世界に多くの奇蹟が生ずるであらう。
斯のやうな事を眞剣に考へてゐると、日本本部の内報“ひかり”が送られて来た。その中に伊藤陽夫祭務
部長が“顕斎奉祀心得”を書いてをられる文章を読んで私は仰天した。まさに、祀りをする立場の総裁先生
が祀らるる立場にお立ちになるのが“顕斎”であって、歴史上に神武天皇と神功皇后が御顕斎をしてをられ
る事が書かれてあった。何といふ荘厳極まりない慶事であり、重大なる神事であり、祭典であらうか。私共
は襟を正してこの祭典を凝視し、その意義を徹底して生きねばならない。
この様な深い意義ある顕斎であればこそ、総裁先生は年頭早々「新生宣言」を御発表になってをられるの
である。総裁先生は已に新生していらっしやるのである。七月号の神誌“明窓浄机”欄には「私は光であ
る」とお書きになってゐられる。先生の新生のお言葉であると思ふ。そしてさらに「近頃私は頭髪の白毛が
減り、薄くなってゐた部分の毛が殖え、それが黒髪になって来たやうに思ふ。わたしは米寿になれば海外巡
錫に出ると神にちかったと短冊を書いて神前に奉納したのだから、その契ひにそむかないやうに、あらゆる
努力を集結してゐるのである」とお書きになっていらっしゃる。已に顕斎は行はれてゐる。驚くべき奇蹟が
続出するであらう。私は「顕斎」の意義を完全に知る事が出来た。私はこの頃の話に殆どこの顕斎の話をす
る。肉体を人間と見て来た旧思想の残骸を潜在意識の中に蓄積したまま人間・神の子の思想を抱いて、そし
て、それで生長の家の信者だと満足してゐては、生長の家ではないし、総裁先生が心魂をこめて御造営の龍
宮住吉本宮のこの荘厳極まりなき顕斎の意義にお応へすることが出来ないと思ふからである。
(以上、松田已代志の論文)
つづく
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