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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
2104
:
HONNE
:2014/07/08(火) 00:27:51 ID:jtmmmlXY
「住吉大神がこの現象世界に出御」に関連して。
以下、生長の家誌 昭和53年9月号 明窓浄机より
○ブラジル国駐在の、ラテンアメリカ伝道本部教化総長の松田己代志さんから、熱烈で信仰深い、そして真
剣に考へる人でないと迂闊に散漫に見のがしてしまふ重要問題に触れた信仰に関する論文が送られて来まし
た。
その全文を次に掲げさせて頂くことにします。
“顕斎”の意義と新生について
松田己代志
今年の正月から私は何故か、長崎の住吉本宮の落慶の事がしきりに考へられて仕方がなかった。特に“顕
斎”といふ事がどういふ事か分らなかつた。総裁先生が「日本の危機的状態を打開するためには人間力では
その術なし。もはや住吉大神のお力による他に道なし」と仰せられるその御心中はよく分るのであるが、ま
た生長の家の運動が住吉大神の御力によることは、生長の家立教の当初より今日の世界的発展をみるまです
べて大神の御神業であり、そのことは総裁先生御自身語り続けて来てをられることであり、私は総裁先生御
自身が住吉大神のお姿であると考へて来ててゐるので、住吉本宮御造営の意義は分るのであるが、さて、“顕
斎”となるとどういふ事なのか雲を掴む様な気持で全然分らなかった。
幸い正月の月は月一ぱいイビウーナの南米練成道場で諸種の練成会が連続的に行はれて、その担当をして
ゐたので、あの神気満つる聖地で神想観の中で無意識のうちに“顕斎”の事について真剣に考へ続けてゐ
た。すると『聖使命』紙の一月十五日号に総裁先生の“新生宣言”が発表されてゐた。「米寿には今より更
に若返り海外に道伝へんと神に誓ひぬ」とあり、“新生について”の先生の御法話の内容も紹介されてあっ
た。私はその“新生宣言”のお歌を拝誦して何か身の引きしまるのを感じた。米寿の年には(明後年は)今
よりさらに若返って、ブラジルまで眞理の伝道においで下さるといふのである。そしてその御決意を神にお
誓ひになっていらっしゃるのである。私は“ハッ”と“顕斎”の意義が分った様な気がした。それは“顕
斎”とは“新生”することだった!と叫びたい気持だった。先生の“新生宣言”のその“新生”の文字が私
に大きく、力強く迫って来る思ひがした。
私はこの“新生”について真剣に考へねばならないのではないかと考へた。それは我等は本筋に新生せね
ばならないといふことである。では新生するとはどうすることかと考へてみると、「人間・神の子」といふ
真理がただごとではないといふことに気がついたのである。「人間・神の子」といふことは、人間は神の生
命であって、本当の人間はこの肉体ではないといふことであると心得てをるし、誰でも『生命の實相』を読
めてすぐ分る様に教へられてゐる。だがそれで人間神の子が分ったといふことであってはならない。勿論そ
のことを知ることは一番大事なことであるが、然し「人間・神の子」といふことは「人間は神」であるとい
ふことであり、余りにも荘厳偉大な眞理である。そこで、それでは「人間・神の子」と知ってゐる我々は果
して「俺は神だ」と魂の底から言ひきり得る自信と強い信仰に生きてゐるであらうか。と考へてみると身の
毛のよだつ思ひがするのである。私の心の何処かでは、この問ひに対して「それは心の表面で知ってゐるだ
けだ」といふやうな声が聞えてくるのである。私はこれは一大事だと思った。
我々生長の家の同志は『生命の實相』に触れた時新生してゐる。肉なる人間から霊妙極まりなき人間に新
生してゐる。然し新生するといふことは自覚の問題であるから、いくらでも何度でも新生してよいし、新生
すべきである。「人間・神の子」の真理にしても、人間は神の生命であり、神そのものであるといっても具
体的には、肉体をもって生きてゐる。生きてゐるからといって神とみるならば大きなつまづきとなる。従
って人間を神とみるならば、結局現象を否定しなければならない。然し現象を否定することの如何に難事な
事か。それは恐ろしい程の達人・聖者によってのみよく悟徹し得る心境であらうと考へられる。だが、現象
を否定するといふことは、現象を成就することであるから、どうしてもこの問題に取り組まなければならな
い。現象世界は、神の自己表現の世界であるから、現象を否定し、現象の奥なる實相を見ることによって、
観るものが現われるの法則によって、現象世界が成就すると教へられてゐる。
つづく
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