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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
1949
:
HONNE
:2014/06/28(土) 22:22:14 ID:jtmmmlXY
>1943
聞く耳を持つということが、糸口になると思います。
聞くという行為は、相手を大切な存在だ思うからでしょう。
どうでもよい人の話には、まじめに耳を傾けるということは、なかなかないでしょう。
聞く耳を持たないとか、耳を傾けないという行為は、
相手を大切な存在だと思っていないということかな?
これって、宗教に関わっている者としてはどうなのでしょう。
そもそも、人は救いを求め、宗教に来るのでしょう。
まずはその人の話を聞いてあげる。
その人の悩みや苦しみや痛みを感じ、
自分も同じように悩みや苦しみや痛みを感じ、共感する。
そういうことで人と人とのふれあいが始まり、解決へのつながっていくのではないのかな。
高座で「神は愛なり」を説いても、自らか実生活で愛を実践しなければ何の意味もありません。
「神は愛なり」は、「聞く耳を持つこと」でもあると思います。
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