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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1663アクエリアン:2014/06/01(日) 10:31:23 ID:xOsRIjpM
志恩様

山ちゃん様のブログのご紹介ありがとうございます。

お釈迦様のお話が出てきたのでその関連で少し考えていることを書かせてもらいます。

教師の握拳(にぎりこぶし)は存在しない

「アーナンダよ。修行僧たちはわたしに何を期待するのか? わたしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。まった き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎ りこぶし)は存在しない。『わたしは修行僧の仲間を導くであろ う』とか、あるいは、『修行僧のなかまはわたしに頼ってい る』、とか思うことがない。向上に努めた人は修行僧のつどいに 関して何を語るであろうか。(二十五)(『大パリニバーナ経』 二)

:教師の握拳(にぎりこぶし)とは:それまでのバラモン教 の僧侶たちは、教えを独り占めすることによりその地位の保全を 図っていたことを指しています。

――――――

このお釈迦さんの説かれた教師の握拳(にぎりこぶし)のお話を読んで、現教団の法灯継承者は、この「教師の握拳(にぎりこぶし)」の役割を果たしているのではないのかと思いました。

谷口雅春先生は、このお釈迦様のごとく、神様からのお取り次ぎ役として、神様のパイプとして、すべての人に分け隔てなく生長の家の教えを説かれた。

ですから、谷口雅春先生の教え、生長の家の教えを学ぼうと思うのなら谷口雅春先生のご著作、ご文章を学べばいいわけなんですね。

生長の家に教師の握拳(にぎりこぶし)は必要ないんです。

それなのに、何を勘違いしているのか、自分が生長の家の教えの解釈権を持っていると妄想してしまっている。

生長の家に法灯継承者など必要ではない。

生長の家のトップの役目は、ただただ、谷口雅春先生の説かれた教えをすべて後世に残して伝えていけばいいのです。

谷口雅春先生の教えに違和感を感じるなら、生長の家を辞めればいいだけの話です。


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