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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1660志恩:2014/06/01(日) 08:45:59 ID:.QY5jUA6
(ここの板向きでは、ございませんが、ここへ貼らせて頂きます)

山ちゃん1952様ブログより

2014年06月01日

  法燈継承と教義

    ①
「法燈継承」について「亀の子」さんが素晴らしい論文をお書きです。
本当に敬服いたします。
私は現在の生長の家の「法燈継承」については疑義を感じている一人です。
『歴史から何を学ぶか』の谷口雅宣監修の本は今更ながら、我が身を法燈継承されたということを「自分自身の保身」の為に作成したように思うのは私一人だけの考えではないと思う。
それでは何故そう思うのか。

それは『生長の家教規』の第11条には

総裁及び副総裁は、教義を総攬し、布教講師の教階を定め、本教所属及び各地の教化部、道場、伝道本部所属の講師が宣布する教義がその正釈を逸脱しないように、これの善導と是正に当り、時々講師及び役員の教修会を開いて教義の徹底をはかるものとする。

教義とはいかなるものであるかであろう?

今の教えという現在の教団はその生長の家の教義を、唯神実相、唯心所現、万教帰一という三つの基本的な教えと「今の教え」というのに説いている。
だがどうであろうか?
唯心所現ということばが果たして教義であるのであろうか?私は唯神所現という言葉は生長の家の教えと聞いて教えられてきた。唯神実相哲学として教えられた。
唯心所現というのは現象世界を現わしている。
つまり「人間は神の子」というのは根本因縁でありまして、唯心はというのは「中間因縁」であります。

たしかに、清超先生は「生長の家の信仰」という御著書に
第一章 唯神実相の信仰
第二章 唯心所現の世界
第三章 万教帰一の真理
第四章 自然法爾の世界

と書いておられるが、教義となれば唯神実相論」となるのではないか?
                                   つづく


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