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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1513アクエリアン:2014/05/06(火) 15:02:34 ID:855gR.IE
タイム誌安倍首相特集記事「愛国者」の日本語訳の記事の転載です。

http://d.hatena.ne.jp/narumasa_2929/touch/20140504/1399134862

The Rising Son

日本はアジアにおいて最古の民主主義国家として の誇りをもっているかもしれないが、日本の権力 構造は家系がものをいっている。著名な先祖をも たない者が総理大臣になることはほとんどな い。安倍自身、外務大臣であった父と総理大臣で あった祖父をもつ。彼は父である安倍晋太郎のこ とを語っている。「癌に侵されながらもソ連との 平和条約に邁進した父の姿は、公務の重要性を私 に教えてくれ、歴史的なものごとを遂行するには 自分の命をもかけて臨むものだ、ということも教 えてくれた。」安倍晋三の父型の祖父である安倍 寛は、戦時の総理大臣・東条英機を批判し、アメ リカとの戦争に反対した希な政治家であった。

しかし、日本の歴史上大きな足跡を ―不気味に―残したのは母型の祖父の方であった。岸信介。彼 は戦時下の内閣に軍需産業のリーダーとして地位 をもち、満州の産業を指揮した。(満州=日本 が傀儡政権を作った中国北部地域)満州は日本皇 軍の最悪の犯罪である強制労働や化学兵器の実験 などが行われた核心地であった。戦後、岸信介は3 年間拘留されたが、罪に問われることはついには なかった。そして10年後、日米安保条約を強固に した‘西洋の総理大臣’として彼自身を決定的なもの とした。彼の復帰は7年間日本を占領したアメリ カによって承認されたものだった。多くの戦時期 の政治家のように。

安倍晋三は、彼の家系に関わらず、ある点におい て国を立て直すのにふさわしい人物ではな い。1982年、彼は少々の鉄鋼会社勤務のあと、外 務大臣であった父安倍晋太郎の秘書になった。彼 はすぐに自分にしっくりくる政治的な信念を確信 した。それは、保守の原則である明晰さのうちに あるサッチャーやレーガンによるタカ派的な確信 である。自民党は多種多様なイデオロギーをもつ 党だった。そしてそれは、選挙民の気分が変化し た戦後数年以外、日本を支配するのに大いに役立 つものだった。しかし安倍は、戦時における日本 の残虐行為を小さく見積もったり、否定すると いった論調を顕著にする自民党の右派という立場 を明らかにした。

第一次政権時、安倍は日本史上最も若い総理大 臣だった。有権者の最大の関心事は経済であった が、その時の安倍は彼の政治家としたの本丸であ る国家主義的施策、例えば学校における愛国心の 誇示=君が代斉唱の義務化などに邁進した。一年 の在任後、彼は病気のため総理大事の座を辞した がその後、自民党が、そして日本全体が安倍の政 治信条に徐々に近づいていく動きを見せた。その 一つのきっかけは、経済的政策の失敗と内部抗争 で三年間の政権期間を浪費した、左傾的とみられ た民主党の不適格さという国内的なことであっ た。2012年の12月の選挙において民主党は多くの 批判票によって自民党に敗れた。そして、自民 党はアベノミクスを未来への道であると推進し た。「我々はデフレマインドに硬化してしまっ た」と、安倍の経済アドバイザーである本田悦郎 は語る。彼は日本経済は伸るか反るかの瀬戸際に あると考えている。「安倍総理は、前代未聞の試 みにのりだした。…そしてそれは失敗してはいけ ない試みだ」


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