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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1494卯の花の匂ふ垣根に:2014/04/25(金) 16:29:30 ID:0Fz04iRk
(つづき)

韓国の労働力をパートタイムに切り替える大きな動き――給料のいいフルタイムの仕事とそれ以外の仕事の間ではっきりと分かれる――を反映して、多くの乗組員は非正規労働者だった。このフェリーが運行されていたのは、ひとえに船の耐用年数を20年から30年に延長した法改正のおかげだった。

 積載容量を増やすために2度改造されたこの船は、不安定だったとの見方もある。これが本当なら、それは怠慢な検査体制を示唆している。

 多くの韓国人が結論付けたように、こうした話はいずれも、『Korea: Impossible Country(韓国: あり得ない国)』の著者ダニエル・チューダー氏の言葉を借りれば「成長がすべてであり、生活の質が犠牲になることもある」社会を浮き彫りにしている。政治評論家のシム・ジェフン氏は、自国の「パリパリ(早く早く)」文化について語る。

 多くの韓国人、特に左派の人は、乏しい社会的セーフティーネット(安全網)や社会の激しい競争的性格を嘆く。それは、日本がかつてその高度成長期の1960年代や1970年代に成長に向かって猛スピードで突進する「空虚な豊かさ」と呼んだものと似ている。

 文化的な問題はどうだろうか? シム氏は儒教的な序列重視について語る。それが救出の取り組みを遅らせ、率先して人命救助にあたる動きを抑制したのではないかとシム氏は考えている。

問題を文化で説明する危うさ

 マルコム・グラッドウェル氏はその著書『Outliers(邦題: 天才! 成功する人々の法則)』の中で、1997年に大韓航空の墜落事故が起きたのは、副操縦士とエンジニアが機長に迫り来る惨事を警告できないと感じたからだというこじつけとも思えるような主張を展開している。

 この種の文化的説明は、大抵は軽薄すぎるし、ほぼ決まって助けにならない。2011年に日本で起きた福島第一原発の惨事に関するある報告書は、「日本文化に根差した慣習」を非難した。これは、個人を責任から解放し、明確な安全手順の有用性を過小評価した説明だ。

 チューダー氏は、見境のない文化的判断は自己嫌悪や無気力につながると主張して、それらを拒否している。何かが「文化的」だとすれば、次の段階では、それを変えられないものと見なすようになるからだ。

 チューダー氏は正しい。韓国人は、実存的な悲嘆の声を上げるのを止め、代わりに実際に成し遂げられるものに集中すべきだ。その中には、あまりにも頻繁に人間の幸福よりも成長を優先してきた戦後の価値観を再検証することが確かに含まれるかもしれない。だが、もっと簡単にできることもあるかもしれない。適切な安全訓練と適切な安全規制を厳格に実施することが、良い出発点になるだろう。

By David Pilling


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