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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1431うのはな:2014/04/08(火) 18:42:39 ID:g.sFyBN2
      私が見た中曽根康弘

 私は玉置和郎の秘書の時代からいろいろやっていたんだけど、参議院議員に初当選したのが昭和55年の第12回参議院選挙で、
103万7410票取って当選するんだ。大平総理が選挙中に亡くなられて、党首なき選挙になったときだね。
衆参ダブル選挙で、自民党が圧勝した選挙。それで、鈴木善幸さんが次の総理になった。その鈴木さんは昭和57年の総裁選に出ず、それで、中曽根康弘さんと
中川一郎さんが総裁選を戦ったわけです。他にも安倍晋太郎さんと河野敏夫さんも出たけれども。

 この頃は、私はまだ中曽根派に入っていなくて、一応、福田派にいて、このときも福田派の中川さんを推したんだ。なぜ中川さんを推したかというと、中川さんは青嵐会(自民党の若手保守系の政策集団)を
率いておられて、私が秘書をしていた玉置和郎も青嵐会だったから。ただ、私は青嵐会には入らなかった。あれは、やっぱり、新選組の集まりだと思ってたから。血の気が多い連中がずらっといるわいと。
だから、私は入らなかった。そういう関係でいたんだけれども、ここで当時、中川さんの秘書をしていた鈴木宗男が出てくるわけだ。宗男は私の大学の後輩なんだけど、「中川と会ってくれ」と言ってきた。
宗男は「中川は憲法改正を必ずやります。だから会ってくれ」と。それで、中川さんが来たわけだ、議員会館の私の部屋に。
私は一年生だよ、当選したばっかりだ。そこに総裁候補が来て、お願いします、と言われりゃ、こっちだって悪い気はしないわな。

 総裁選に立つには当時は推薦人として、議員が50人いるんだ。だから、そのうち、11名つくってくれって、頼まれたわけだよ、中川さんから。
両手ついて、大きな手をついて、「村上君、頼む」と。もう、参議院が頼りだと、おめえが頼りだと言って、私の部屋で頭を下げられて、それで、私も「いやあ、当選したばかりの
男にそんな力はありませんよ」と言ったんだけど、ここまで言われるとね。

 中川一郎さんという政治家は、苦労して、自分の力で這い上がってきた人でね。爪に火を灯すような生活の中で、のし上がってきた人、苦労した人だ。だから、貧しい人たちの生活もよくわかっていたし、
政治家が何をすべきかもわかっていた。だから、よし、中川さんを推してやろうとも思ったんだ。
とにかく死にもの狂いでやってくれというので、私は本当に死にもの狂いで11人集めるわけだよ。私を入れて12人。だけど、情勢的には中曽根さん優勢で、中川さんは厳しかった。で、それとはまた、別の事情もあってね。
生長の家の創設者で、初代総裁の谷口雅春先生は福田派を推していたので、その流れで中川さんを推すと。ところが、のちに二代目総裁となる谷口清超先生は、東大で中曽根さんと同期だったんだな。それで中曽根支持だ。

 初代が中川で、二代目が中曽根ではあんまりよくない。やっぱり、中川さんと中曽根さん、この二人は仲良くさせなきゃいかんと、私は常々思ってたから。
そこで、ちょっと思案した。長崎には、「龍宮住吉本宮顕斉殿」という生長の家の総本山があってね。自民党総裁選のさなかに、生長の家の全国の信徒が長崎の総本山に集まって、谷口先生のお話を聞く講演会というか、全国大会があったわけ。
長崎の全国大会に信徒が5万人ぐらい集まると。そこで私は中曽根さんと中川さんの両方とも呼んだんだよ。総裁選挙の期間中だけど、二人とも「5万人も集まるんだったら行こう」と。政治家根性があるから、5万人も集まるということになれば。
中曽根さんも中川さんも、生長の家の票は欲しいからな。ただ、生長の家には投票権のある自民党員がそんなにたくさんおるわけじゃないんだ、ホントは。私は売り込むとき、たくさんおるような感じで売り込みしてるからさ(笑)。


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