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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1412うのはな:2014/04/02(水) 13:51:29 ID:hPXN0hZ.
  生長の家との出会い

 拓大の同級生で仲の良かった馬頭哲弥というのがいて、彼はレスリングと相撲をやっていた。
当時、早川祟さん(自民党)という代議士の秘書をしていた。早川さんは和歌山から選挙に出て代議士になり、労働大臣や自治大臣も
やって、もう少し長生きしていれば総理になっていたと思う。中曽根さんとは東大と内務省で同期だった。

 それで、私はこの頃、仕事の合間にしょっちゅう、馬頭がいる議員会館の部屋に遊びに行っていたんです。馬頭がいないときは、代わりに留守番までしていた。
この事務所に出入りしていたのが、私より9歳年上の玉置和郎だった。早川さんの推薦で、自民党青年部の嘱託になっていたんだ。
その玉置がどういうわけか、私のことを気に入って、「俺と一緒にやろうよ」と言い出した。馬頭も「玉置和郎はなかなか野心家だから、ブラジルの夢も破れたことだし、
一緒に仕事をやれよ」と言うわけだ。

 それで私は、もう会社にも未練はないから、「おう、そうか、そうか。じゃあ、そうするか」って、東洋紡を2年かそこらで辞めてしまったわけだ。
その頃は、バッジを自分でつけるなんて思いもしませんよ。私はナンバー2で、日本一のナンバー2になってやろうと思ってました。ナンバー2の秘書として、参謀役で人生を終えるんだと思っていた。
 玉置は参議院に出ようとしていたが、自民党の青年部の支援を受けても、さほど票が集まらないんです。どこかしっかりした支持母体を持つ必要があった。調べてみると、国家意識を持ち、政治に一番熱心で、
候補者を立てていないのが生長の家だったわけです。

 そこでいろいろと策を立てて、その結果、生長の家とつながりのある三木武夫さんに、創始者の谷口雅春先生宛に親書をしたためていただいた。
三木さんと生長の家のかかわりは、三木さんが学生時代に肺を病み、谷口先生の『生命の實相』を読んで、病を克服したことがきっかけなんです。
玉置と私は二人で、生長の家の門を叩いたわけ。中林政吉理事長や田中忠雄先生のご愛顧をいただき、いろいろと大変なことはあったけど、なんとか推薦して
もらうことができた。

 だけど、票欲しさで来たってのは信徒に見透かされる。生長の家の組織票は、70万とも80万ともいわれていたが、青年部の票を足しても玉置は30万票しか取れず、
最初の参院選で落選した。そして借金を抱え、夜逃げまで考えたが、玉置は反省してね。
「ニセモノではダメだ。これからは谷口先生の本当の弟子になって、生長の家の真髄を究めていく」と。
それで「村上さんは女房以上の存在だ。あんたも一緒に本気で生長の家に入ってくれないと、俺も本物になれない」と言われて、私も腹を括ったわけだ。
玉置は死にもの狂いで生長の家の修行に励んだ。そして玉置は3年後の参議院選挙で80万票を獲得して見事当選を果たした。

 でも生長の家に入ったことが、自分にとっては本当に大きな財産になった。
実際に、日本人としての魂に目覚めさせてくださり、それを教えてくださったのは谷口雅春先生だ。日本人に生まれてきてホントに良かったんだと、日本人であることの誇りを持てと、
この憲法で日本の国はいいのかと、そういったことを教えられたんだ。

 大学じゃそんな勉強はしなかったけども、私は生長の家で、谷口先生のもとで魂の目を開かせてもらったんです。

 『だから政治家は嫌われる』 村上正邦 著


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