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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1237うのはな:2013/12/30(月) 14:47:27 ID:/QLW1zdI
尖閣問題とチベット問題の共通点 国際政治学者 ペマ・ギヤルポ

 近年中国は度重ねて尖閣諸島問題で日本に対して挑発行為を続けている。
これに対してごく一部の良識ある人々以外のマスコミなどは冷静に対応しろとか、国際法と国連に頼るような発言も
目立っている。中には叡智と結集して両国間で当分この問題を棚上げにすべきだと、いう極論を言う人もいる。

 この人たちの言い分だと、大人であった訒小平と
田中角栄は、この領土問題を棚上げすることで日中の友好関係を築いてきた、とのことである。
私がチベットの体験からはっきり申し上げたいのは、棚上げなどとは中国にとって、時間稼ぎ以外の何ものでもなく、中国が一九五〇年軍事力でチベットを侵略して
五一年に十七条協定なるものを押し付けたことに対し、東チベットを中心にして猛烈な反発が出始めた頃、一九五四年毛沢東はダライ・ラマ法王に、
「我が祖国の他の領土と違ってチベットには特有性があるので、革命的改革を当分押し付けない」という約束をして法王を安心させた裏で、着々とチベットへの道路をつくり、
多量の工作員を「チベットに奉仕する」という名目で送り込み、彼らがチベットを軍事的支配しやすいような環境を整え、最後にダライ・ラマ法王を捕まえようとした。

 その時チベット国民は決起し、ダライ・ラマ法王はインドに亡命した。一九五九年のことであった。
もしチベットが一九五〇年代初頭に一致団結して戦っていれば、中国の侵略を阻止できたかもしれない。
当時の中国はチベットに簡単に入れるような道路もなかったし、兵士を養っていくだけの食料も不足していた。
国民党との内戦で兵力も弱まっていた。

 その上毛沢東と人民解放軍の軍部、そして劉少奇との対立が始まっており、内部の団結力をはかる必要があったので、
時間稼ぎにチベットへの改革を押し付けない、という姿勢を取っただけで、それは訒小平の棚上げ論と同質のものだった。
 やむを得ずインドに亡命したダライ・ラマ法王のチベット政府は国連に訴え、国際法と正義に期待した。アイルランドとマラヤ
(現在のマレーシア、シンガポール)が提唱者となって国連で三度にわたって中国を批判し、非人道的行為をやめ、即時チベットから軍を撤退することを
促す決議が採択された。

 また、JCJ国際司法委員会(国際法律家委員会ともいう)はチベットにおいて中国軍による計画的組織的大虐殺があったこと、そして中国がチベットに侵略したとき、
チベットが事実上の独立国家であったことを認める結論を出した。
 しかし中国は国連の決議を無視し、国際法に基づく正義も無視した。こうしたことからわかるように、中国にとって歴史的正統性、国際法の正当性そして国連の存在は、自国の利益に合致しない限り、
無視するのが当たり前のことである。

 一九四九年中華人民共和国誕生のとき、中国が有効に支配していたのは現在の中華人民共和国の三七%に過ぎない。それ以外の領土はすべて軍事力を背景に獲得し、ある時期においては友好関係にあったロシア、インド、
ベトナムなどとも一戦交えているように、中国の本質は領土拡張主義以外の何ものでもない。
日本はこうした事実から学び国際法と国連に甘い期待を抱くのをやめ、棚上げの罠にも嵌らず、自国の領土を守る強い姿勢を持って臨むことのみが中国に有効な対策である。

  『われわれ日本人が尖閣を守る』 保存版


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