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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
1226
:
うのはな
:2013/12/26(木) 17:10:40 ID:igWL/Ees
中国政府は自国民の大量戦死さえも恐れない
「核大戦のなかで、我々は一00余年来の重荷を下ろし、世界のすべてが得られる。中華民族は
必ず核大戦のなかで、本当の復興を得られる」
実に戦慄すべき論法である。中国には射程距離でロサンゼルスまで届くものといえば二〇基の大陸間弾道ミサイルしか
ないのに、「アメリカに対しては、我が国が保有する核の一〇分の一で充分」など大言壮語するのは、いかにも中国人らしい危険な思い込みである。
朱少将の言うようなことを、日本人は狂気と見るだろうが、中国人はそうは考えない。中国の一般民衆の絶対的多数は、人類史の九〇パーセントは中国人が
世界をリードしていた時代であり、この数百十年間の中国の没落は例外的なことにすぎず、中国が世界の中心として復活するのは当然のことであると信じているのだ。
かつて毛沢東は、「核戦争で人口の半分が死滅しても、戦後の廃墟から社会主義社会を再建できる」
「核戦争はたいしたことではない。中国人の半分が死んでも、女性はあいかわらず子供を産むから、それで問題は解決できる」などと語った。
このように国の力量を人口数で測ろうとするのは中国の伝統文化、つまり伝統的な人命軽視の生命観からくるものだ。
朱少将の、「人口の八割以上を犠牲にしてでも核先制攻撃を行うべき」「地球人口の半分が死んでも全面核戦争を遂行するべき」という主張の根底にも、
同様の生命観がある。中国の歴史は大量餓死、大量虐殺の繰り返しで、それによって人口が調節されてきた。
だから中国人は、何千万人、何億人が死のうと、それほど深刻に考えない。人命など尊重に値するものではないのだ。
同胞のですらそうなのだから、夷狄(いてき 外国人)の生命などなおさらだ。
明末期、清初期の代表的な学者である王夫之(おうふうし)は、「夷狄は禽獣であり、殺しても裏切っても、不仁、不義とはならない」と主張したが、今でも中国人の
なかにはそのような潜在意識がある。
そこに近年の愛国教育が加わり、今の中国の青少年たちは、たとえば全面核戦争になっても中国は絶対に勝つ、核戦争は不可避であるからその実行は早ければ早いほど有利だなどと
信じて疑わず、反日デモでも、対日核攻撃を声高に叫ぶのである。
日本人にはまったく理解できない生命観だろう。だが逆に、中国人から見れば、日本人の核アレルギーや平和主義は、理解もできなければ信用もできないのだ。
『日本人よ!「強欲国家」中国の野望を砕け』 黄文雄 著
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