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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1167うのはな:2013/11/29(金) 21:13:46 ID:j/spUBYM
  米国が手づまりの末に出した『ポツダム宣言』を日本は意外にも受諾   

 陸軍参謀総長、海軍司令部総長という戦う陸海軍の責任者は、前述のように本土決戦は勝つ見込みが
充分あるから、天皇陛下の御前会議でもポツダム宣言受諾に絶対反対し戦争継続を主張したのであるが、天皇陛下が
終戦の御聖断を下されたのである。

 この会議室の入口で、特攻の海軍現場責任者の海軍軍令部次長の大西滝次郎中将が「あと特攻機が100機あれば勝てます
(実際はすでに3000機が用意されていた)」と意見具申したが拒否されたので、大西中将はこれに抗議して終戦時切腹した。
切腹の介錯も頼まなかったのは怒りの表現であろう。

 一方本土決戦の帝都の空の護りとして厚木にある無傷の帝国海軍航空本土防衛隊は、零戦設計者堀越二郎の新設計の四翅プロペラ延長回転軸式
迎撃戦闘機「電電」や川西航空機製「空戦フラップ」付きの新鋭機「紫電改」などの一万機が厚木航空隊に温存され、強くて米軍から恐れられたラバウル海軍航空隊などから
集められた歴戦のベテランパイロットが手ぐすねを引いて待っており、厚木海軍航空隊小園司令は終戦命令に絶対反対で最後まで降伏しなかった。

 右の如く終戦時には「日本は負けていなかった」のは歴史的事実で「終戦」は、私を含め全日本軍将兵にとって意外なものであった。
そして“終戦”の実態は“負ける”どころか“血気にはやり、戦いたい”陸海軍や士気旺盛の国民に終戦を説得し抑えるのが大変だったというのが歴史的事実である。
 しかしポツダム宣言に対して日本政府は「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。
米国の新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と事実と違う報道を行った。

 米国の提示したポツダム宣言自体、八つの条件付きであり、これに加えて日本政府は『国体護持』という条件付きで受諾したので、計九つの条件付き和睦で『無条件降伏』は
事実に反するのである。また、ポツダム宣言にも日本の国としての無条件降伏とは一字も書いていない。
戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか「日本が無条件降伏した」と思っているのはまことに嘆かわしい。

 『日本は負けたのではない』 中松義郎 著


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