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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1144大義のために死す「三島由紀夫」(頂門の一針メルマから重引):2013/11/19(火) 17:17:36 ID:somjfgi2

 5)濱田 實です。

       「日本武士道は、三島由紀夫の自決で終わった」

戦後日本人は、平和憲法によって、「戦うこと」「血を見ること」「堂々
抗議すること」・・・すなわち、何事にも武士らしく行動することに、す
すっかり「臆病」になってしまいました。奇態、世界の笑い者です。

しかし世界にとってみれば、それで自国が直接の被害を受けるわけではな
し、国際的な好感度アンケート結果をみて喜んでいるのが、今の日本人で
す。保守層までもが・・・そんなことは当たり前のことなのに。

日本人は「武士道精神」をかなぐり捨ててしまったのです。昭和45年、三
島由紀大人の自決で彼をコケにしたツケが今の日本人の姿ではないでしょ
うか。

彼の自決を「狂気の沙汰」で済ます向き(知識層の)もありますが、あれ
は彼が芸術家ゆえのことで、人生の模倣とでも思えばいいでしょう。大事
なことは、彼のマンガチックな行為であっても、その奥の奥に秘められ
た、彼の声なき声に在ります。

それにじっと耳を澄ませてみることが必要ではないでしょうか。のち、何
とブレジンスキーまでもが、三島氏の勇気を讃えています。

曰く、
「三島由紀夫はこの立場のシンボルとなり、精神的支えとなることが十分
考えられるのではないか。たしかに、三島自身は本質的には、保守的なナ
ショナリストであり、天皇崇拝の真の日本への回帰を必死に求めていたと
はいえ、他方では、快楽主義の横行、目的喪失、物質への盲信を生み出し
た新しい”アメリカ化”日本の拒否を説き、その死を通じて劇的に実践した
のであった。

多少のイデオロギー的外科手術を加えれば、三島は死後ながら、伝統的愛
国主義と新しい社会主義的な質実剛健の調和を目指す新しい『人民日本』
の予言者にさえなりうるだろう・・・」と(「ひよわな花 日本」ブフェ
ジンスキー著/サイマル出版会)。

どうだろう。ブレジンスキーの言葉には、グロテスクとかアナクロニズム
とかの彼の行動を愚弄する言葉はひとつもない。そういって三島氏を愚弄
したのは当の、日本の保守をも含む一部の知識層であった。

ここに事の”本質”を捉えようとする、日米知識人の差があると思われる。
それは今でもそうだ。よくよく考えてみれば、こういう事象認識の甘さ
が、過去20年に及ぶ国力、経済力の停滞を招く原因とも、密かにつがって
いるのではないか。

三島事件の11/25が近づいてきたので、氏を偲ぶため、話題に出してみま
した。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=-CAnVEMbkyE


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