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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1129志恩:2013/11/14(木) 06:04:13 ID:.QY5jUA6
アクエリアン様

教えて下さって、ありがとうございます。アクエリアン様も、三島由紀夫が語っていたという
「緑色の蛇」とは、堤さんの説、(石屋)「国際金融資本」だと思われるのですね。

アクエリアン様ー
緑色は、アメリカでは葬儀を連想させるとネットで調べたら載っていましたが、
物質欲、金銭欲に囚われてしまった、「日本人の魂の死」を三島さんは
「緑色の蛇の呪い」という言葉で警告しようとしたのではないかと思っています。
三島さんの有名な、死の数ヶ月前に書かれた次のような文章がありますね。
......(略)
..................................................................
志恩ー
三島の本名は、平岡なのだそうで、ネットに彼の少年時代の短い作文が載っていた。
こういう人って、生まれながらに高い魂の持ち主だったんだな..と、しみじみ思いました。

ネットより

平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文

  「大内先生を想ふ」

出典
  三島由紀夫小学生の作文 |

ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。

まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。

そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。お気に入り詳細を見る


   「夕ぐれ」
出典
オールジャンルのオージャン : 三島由紀夫の9歳の時の作文

鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。

――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ――
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。

おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる。
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。

これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。
                                    つづく


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