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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1085うのはな:2013/11/05(火) 19:17:03 ID:VE626NQc
     周恩来首相が田中角栄に贈った書の政治的意味

      突き返すべきだった「言必信、行必果」の書

 戦後の日中関係が田中角栄から始まったというのは、誤ったイメージです。
その十年前から始まったLT貿易の素地があったからこそ、正常化できたのです。
その意味で高崎建之助氏の果たした役割には大きなものがありました。それはそれで、
きちんと評価しなければいけないと思います。

 田中総理にしても、大平正芳という政治家が外務大臣として細かい交渉を引き受けてくれたので、大きな仕事ができたわけです。
国交正常化交渉で訪中した田中総理と大平外相は、中国側からその力量を量られています。
田中総理が周恩来首相から、「言必信、行必果」(言必ず信、行必ず果)と書いた色紙をもらったのです。
後日、漢学者で歴代総理の相談役でもあった安岡正篤氏は、「角栄先生がもらうのは仕方がないが、大平さんがついていて、なぜこんなものをもらってきたのか」
と嘆いたそうです。

「言必信、行必果」とは、言ったことは必ず守り、やりかけたことは必ずやり遂げよう、の意です。
これだけ見るとよさそうな言葉に思えますが、『論語』子路編にあたってみると愕然とします。
弟子の子貢が孔子に、士(志のあり立派な人物)とはどういう人を指すのですかと尋ねます。
孔子は「おのれを行うに恥あり、四方に使いして、君命を辱めず、士と謂うべし」と答えました。
君命という言葉は、国家や国民に置き換えたほうがわかりやすい。四方に使いに行ってその使命を全うし、
国益を守り、国家・国民の名誉を汚さない人は立派な人である、という意味です。

 すると子貢が「あえてその次を問う」と重ねて孔子に尋ねます。自分はとてもそんな立派な人にはなれないから、第一級の士ではなく、
士の範疇に入る第二級の士はどうかと聞いたのです。孔子は「宗族は孝を称し、郷党は弟を称す」と答えました。祖先の名前を辱めず、
郷里の人に後ろ指を指されないような行為をするのが士というものである、という意味です。

 子貢はこれにも納得せず、「あえてその次を問う」と尋ねます。士の範疇に入る第三級の士はどうかと聞き、ここで初めて孔子が「言必ず信、行必ず果」と言ったのです。
しかも、その後がいけない。孔子は「硜硜然として小人なるかな。そもそもまたもって次となすべし」と続けました。
これは、小役人的で融通の利かない者だが、まあ士に入れてやってもよい、というほどの意味です。

こうしてみると、一見評価しているように見えながら、その内容には強い毒が含まれていることがわかります。
もちろん、周恩来ともあろう人が知らないで書いているはずがありません。
「これがわかるか」と突きつけたと見るべきです。

 いろいろと調べてみて、中国に行ったら書をもらっては駄目だなとわかりました。
総理や大臣が見抜けないときは、こちら側にも誰か素養のある人がいて、「これは私がいただきます。
できれば総理には、最初の『おのれを行うに恥あり、四方に使いして、君命を恥か辱めず』と書いてくれませんか」と
切り返すのが補佐する者の務めです。それをやるのが外交なのです。

 このことは民間外交にも当てはまります。われわれ日本人が「民間人同士の交流だ」と気楽に考えて訪中しても、向こうは民間を
装った準政府機関ということがあります。国の組織でなくても、共産党の組織であったり、どこかでつながっていたりするものです。
何にせよ、向こうは意図があってやっているので、それを見抜いて対応することが大切です。
色紙の言葉が気になったときは、「私には重すぎる」とか「もうちょっとこういうものだともらいやすいんだけど」と言えばいいのです。

  『その時、日本が動く』 的場順三 著


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