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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

1008うのはな:2013/10/17(木) 11:04:25 ID:/35Ug0TE
    闘いたくなければリーダーになるな

 その後の民主党政権の体たらくぶりについてはわざわざ書くまでもないだろう。
野田佳彦内閣の最大の功績は、民主党政権をつぶしたことくらいである。
 去年の春頃、安倍さんはまだ、総裁選に出て、再び総理大臣になるなんて思っていなかったはずだ。
去年の夏以降、私が会長を務める「頑張れ日本!全国行動委員会」は、安倍晋三総理大臣を誕生させることを目標に
行動した。

 もし、あのまま自民党総裁だった谷垣禎一氏が総理大臣になっていても、大胆な経済政策を打ち出すどころか、日本は
どんどん落ちていくだけだと思っていた。
 しかし安倍さんは確固とした国家観、歴史観をもっているから、誰に遠慮することなくいまのような積極財政に打って出られたのである。
アメリカは当然、日本のこの積極財政には反対である。アメリカとしては、日本がデフレをずっと続けていてくれたら、日本の乗っ取りがより楽になり
再考だったであろう。

 二〇〇六年に発足した第一次安倍政権は「お友達内閣」などと揶揄されたけれども、私はある意味で内閣は「お友達」でなければいけないと思っている。
そもそも意見が合う人たちがお友達になるし、「お前とちっとも意見が合わないよ」というのは、普通はお友達にはなれない。
 政治に限らず、何か事を始める場合、意見が合わない人間を集めても前に進まないことは目に見えているではないか。
そういう意味で、私は「お友達内閣」のどこが悪いのかと聞いてみたい。

 例えば「アベノミクス」という言葉だって、朝日新聞が安倍さんの経済政策を揶揄する意味で使ったのが始まりだったように思う。
ところが、安倍さんの経済政策がうまく行き出すと、揶揄する言葉じゃなくてほめ言葉になった。
 だから「お友達内閣」だって、もしうまく行っていればほめ言葉になっていたのかもしれないのである。
日本には、長い間リーダーが不在だった。

 リーダーに必要なことは、自分についてくる人たちを信じて闘うことである。
そういう意識がまるでなかった人たちが歴代総理の座についてきた。トップに担ぎ出されてきたが、決してリーダーではなかったのである。
闘いたくない者はリーダーになってはいけない。みんなにお膳立てしてもらって、闘いたくないが偉くはなりたくて、
「俺が闘わなくてもいいようにちゃんとそういう状況を作れ」と言わんばかりの総理が続いた。これではダメである。
その点、安倍さんは闘う政治家だ。ただ、一回目の総理のときには闘い方が悪かったのだと思う。

 安倍さんと同じく、自虐史観に毒されていない保守派の政治家もいることはいる。
現安倍内閣の国家公安委員会委員長で内閣府特命担当大臣の古屋圭司氏もそうだと思う。
だが、現下の政界の状況では彼らがすぐに総理になるのは難しい。

 自民党の中でも、総理になれそうな立場の人で、安倍さんに近い考え方をしている人はなかなかいない。
安倍さんには、日本を再生させるだけではなく、自民党も真の保守政党として再生させてほしいと強く願っている。

第二章  自虐史観に毒されていない安倍総理誕生の意義より


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