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「教区会員」板

831トキ:2013/09/30(月) 22:01:12 ID:3636Vies
 かって山ちゃん1952様は、『谷口雅春先生が亡くなれてから、”中心帰一”という言葉が広まって
きた」と言われていましたが、これは私も同じ記憶があります。(それ以前も使っていたとは思うの
ですが、本部が強調するようになったと思います。ただ、これは個人的な印象です。)

 つまり、『生長の家」という信仰と、『生長の家」という宗教法人をイコールで結んだのが、
『中心帰一」という言葉であり、トキが勝手に作り上げた『組織教学」という観念です。この立場に
なると、現象としての宗教法人である生長の家のあり方が、信仰と密接に結びつく事になります。これ
は、教団の指導部、あるいは、教団に反対する人達には都合のよい、説明しやすい概念です。

 しかし、それが、内包する危険性も無視できません。

 宗教法人としての生長の家は、現象の人間の集まりです。当然、人数が増えれば、いろいろな人が
います。大半の人の目的は、『信仰」だと思います。しかし、中には、それ以外のものを期待してく
る人もいます。例えば、人間関係が疎遠な現代では、宗教法人が人間関係を補完する役割りも果たして
います。また、仕事や商売に利用する人もいるかもしれません。生長の家政治連合が盛んな時代には、
政治を志す人が来ました。そういう目的を全部否定するつもりはありませんが、本来の目的ではない
のも事実です。

 これは、私の想像ですが、榎本恵吾先生は、その点を憂いて、組織や運動の目的が信仰だった古き
佳き時代の生長の家のあり方をみんなに知って欲しかったのではないか、と思うのです。

 組織が肥大化した場合、いろいろな弊害も出てきます。鮮明に覚えているのは、ある時、聖使命会員
の意義について若い幹部が説明をして、その時に、『聖使命会員に入らないと神様とつながらない」とい
う説明をしたところ、その場にいた大先達がその間違いをただした事です。その場合、大先達がいたから
間違いを糾せたのですが、その若い幹部はそうでなければ、その間違いをあちらこちらで話していたでしょ
う。

(つづく)


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