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830
:
トキ
:2013/09/30(月) 21:31:50 ID:HPjqvcCc
役員改選があり、バタバタしておりました。お留守をして、ごめんなさい。
生長の家の歴史については、私よりも詳しい人が多いですが、厚かましくも愚見を述べます。
戦前、あるいは戦争中や戦後、生長の家という組織があって、生長の家という信仰が広まったのでは
ありません。谷口雅春先生が本を出され、それを読んだ人が感激して信仰者となったのです。そういう
地方の熱心な信徒が集まって地方組織が出来たのです。東山半之助先生の「ざっくばらん」には、その
あたりの詳しい事情がかかれています。地方新聞社の社長さんだった東山半之助先生も、女医さんや
高等商業(今の大学)の教授、陸軍大佐など、地方の同志を集めて支部を作ったのです。
つまり、生長の家というのは、信仰があって、そこから組織が出来たのであり、組織があって、そこ
から信仰が出来たのではなかったのです。
ところが、組織が出来ると、組織を維持する事が求められます。初期においては、信仰が目的であり
運動や組織は手段である、という認識を信徒全員がもっていた、と思います。ところが、だんだんと組織
が拡大すると、組織や運動が目的であり、信仰は手段である、と誤解する人が出て来たと思います。組織
が拡大すると、いろいろな人が参加するので、問題が大きくなってきました。幸い、谷口雅春先生はすごく
魅力のある人だったので、谷口雅春先生ご存命中は、谷口雅春先生を中心にして、求心力を保つ事ができた
のです。しかし、谷口雅春先生が亡くなられると、求心力が低下したのです。谷口清超先生は立派な先生で、
よく信徒のために祈り、努力されましたが、それでも信徒の受け止め方は残念ながら、やや違ったと言える
でしょう。
さらに言うと、戦前を知る信徒さんは大半が亡くなり、戦争中や戦後を知る人もかなり少なくなっています。
つまり、初期や前記の組織が未整備な時代の生長の家を知る人は少なく、今の信徒の多数は、組織化され、
組織と教学がかなり密接に結びついた生長の家しか知らないと言えます。
ここに問題があると思うのです。
(つづく)
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