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「教区会員」板

778「だはは」管理人:2013/09/04(水) 15:06:39 ID:???

>>トキ理事長

 こんにちは。「だはは掲示板」の管理人、やっている者です。今日は緊急で登場、致しました。いや、以下の件、「どうしても伝えずにはおれない」という、そんな動機です。以下は非常に、重要な話です。


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○【音声】『常楽への道』講義 その4 榎本惠吾先生
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65747865.html

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 さて、上記からDL可能ですが、「講話7」を拝聴ください。そしてその中の「1:23:59」付近、ここに注目です。(注耳です)

 ・・・・・光明化運動に関して榎本先生が、「非常に重要な事」を述べられておられます。それは〝あの件〟です。あの、人類の悲惨を見て「立たざるを得なくなった」の、あのスローガンに関してです。

・・・・さて、これらスローガンですが、「現象の悪を見て、立たざるを得なくなった」そんな風に解釈されます。そして(たとえばホンリュの「靖国殿」等は)それこそが「尊師の真意だ!」てな、そんな方向で議論をされます。ですが、榎本先生に拠れば「これは間違い」という話です。真意は「そうではない」様子です。

 ・・・・この、「現象の悪を見て、立たざるを得なくなった」と云う考えは、榎本先生に拠ればやはり、「生長の家ではナイ」考え方のようです。ここを先ず、各位確認すべきと考えます。(詳しくはご講話音声を、お聴きください)

 ところで、ではなぜ、あんな風なスローガン ―― 「人類の苦境を見て立ち上がる」と云った系譜の ―― が、出てきたのでありましょうか。「現象をアルとして認め」「それを除去する」てな表現ですが、どうして出てきたのでしょう。

 榎本先生曰くですが「それは、表現としてはそう、云っている」と。「けど、本当は『嬉しくて嬉しくて』運動せずにおれない!と云う動機が、背後にあった」のだと。「神一元」を知らない人向けに、あえて相対的な表現にしたのだと・・・・

 闇を認めて何かをヤルんじゃない。相対化して表現したのは、一般人向けの方便であって背後には、この、神さまが天地を創造された際の「嬉しくて嬉しくてという動機」が、あったのだ。この点を見逃すと、本当に運動が悲惨になる・・・・・まあ、そんな感じの榎本先生ご解説です。そんな意味のことを榎本先生が、講話7の「1:23:59」付近より語っておられます。

 よろしかったらトキ理事長、どうぞお聴きになられてください。





○(頭のオカシイ皆さん向け)だはは掲示板URLは、

http://jbbs.livedoor.jp/study/11764/


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